評価 5(飛びぬけ)

ジョー・ウォルトン、やっぱりはずせない。
どの作品を読んでも常に心のどこかをぎゅっと突いてくてる。
本当に最後の最後まで堪能した、特にラストの数ページの心の泡立たせ方が素晴らしい。
また読書好き、本好きの人に小さなくすぐりも沢山入っている、いわくベオウルフを熱弁する(!)トールキンが先生だったとか、途中で、アラン・チューリングが顔を覗かせるとか(映画イミテーションゲームのカンバーバッチを思った)、哲学者のウィトゲンシュタインがパーティに現れるとか・・・、ミドルマーチ、学寮祭の夜、TSエリオットへの言及・・・。
更に、フィレンツェの町の素晴らしさも際立っている作品だ。ウフィツェ美術館の所蔵品の数々、フィレンツェの町自体のすばらしさ、またイタリア全体への愛に満ち溢れている(ジェラートが美味しそうで目が回った、ジェラートが何回も何回も出てくるけれど、最後のビイとのジェラートの場面が忘れ難い)

この話は、『もしあの時にあの選択をしていたら』という割合よく見かけるSF設定だ。
(読んだばかりの佐藤正午のYとかも思い出す)
でも設定はSFであるし、当然話の中にそういう部分は沢山あるけれど、いわゆる
・タイムスリップして人生をやり直す、
とか
・あの時にどうにかなってしまった人を助ける、
とか
・意図しないのにタイムスリップしてしまった、
とか
そういう類のSFではない。
読んでいると実に普通の優れた小説を読んでいる感じだった。
けれどそれは、両方パトリシアでありながら、片方はトリシアの物語であり、片方はパットの物語だ。
目次を見ると一瞬眩暈がするくらいに混沌としているが、読んでいると全くその違和感はなかった、じわじわと心の中に物語が染み渡ってくる。
(もしも別の道を歩んだら、という意味では、Yの形の人生ではあるのだが、『藁で包んだ納豆』の形のように、最初と最後が一致していて、途中が枝分かれして、最後にまたまとまる、形の人生だ。)

並行していた人生、それが並列で並べられて語られていく。
それがどういう状況を元に語られているか、というのは冒頭にある。
そして最後にもある。
だから読者は冒頭を読み、そうなのかこの人の状況は!、と思いつつ読み始めることになる。
そしてこの大団円の言葉の爆発の数々!
最後の最後での数ページでこんなに力強くそして衝撃的な言葉を残してくれたことに驚いた。
しかもこの小説、単純にもしこうだったらこの人生だった、という小説ではなく、歴史改変小説の要素も多分に持っている。
なんせ、かたや核戦争とテロにまみれ、甲状腺癌で大切な人がどんどん死んでいき、そして月に核弾頭を積んだミサイルがいる世界なのだから。具体的なケネディ大統領のキューバ危機の話とか、事実を踏まえての物語もまた構築されているあたりも素晴らしい。

・・・・・・・・・・・・・
それにしても、子供の時代のパトリシアの(これは共通)海岸での
『両親と兄とパトリシア』
の美しくそして幸せそうな様子と言ったらどうだろう。
幸せ、を体現するような家族のほんの小さな幸せがここにはあり、愛する両親がいて、両親も愛し合っていて、ちょっと大人びる寸前の兄がいて、そしてパトリシアに世界を教えてくれる優しい父がいて、それを見守る美しい母がいる。
しかしこの小さな印象深いエピソードの中にも、これがひとときのものであり、将来に薄雲がかかっているという会話も巧みに織り込まれている、いわく、ナチ党の台頭の話とか兄が近々寄宿舎に入るとか・・・
不穏な影も忍び寄っているのだ、間違いなく。
それでもこの海岸の美しいエピソードが、全編を覆っている。
特に、父親との素晴らしい会話がのちのちまでパトリシアの胸に残るのがよくわかる。
この数年後、兄は戦死して、父も亡くなり、無力化した母がいて彼女は将来的に認知症になるということを考えるととてもこの幸せな場面がいとおしい。

途中マークとの結婚での悲惨な箇所が読むのが辛いほど迫真に迫っている。
教育は受けていたがクズだったマークとの不毛な結婚生活の実態が痛々しい。
・・・・
・・・・・


<以下ネタバレ含みます>
ラストが素晴らしいのは、
この二つの世界がどちらも世迷言ではなく真実であり
老女のパトリシアがどちらの世界を選択するかによって決まる、と考えるところにあると思う。
彼女の小さな選択、マークと結婚するか否かの電話のやり取り。
これが世界を分断するのだが、片方を選択することにより片方の世界は消滅するのだ、つまり子供たちも片方側しか残らないのだ。
さてパトリシアはどちらを選択するのだろうか。
というところで終わっている。
個人的な幸せなのか、社会的安定なのか。
それよりなによりどちらかの子供を消すという行為ができるのだろうか。
というようなことに至るまでを畳みかけるように語られている。


冒頭で老人施設にいるパトリシアが認知症のため非常に混乱している。
VC(very confused)と看護師に書かれるほどに混沌としているパトリシアの脳裏には、自分が何人子供がいたのかすら曖昧だ。
ここを読むだけだと、認知症ゆえ、子供の顔すら見分けられない老女の物語、と読めるだろう。
けれど、実際はこのパトリシアが、
・マークという男性と結婚するのにイエスと言ったかノーと言ったか
の分岐点で、
1.イエスの人生は、トリシアの人生
2.ノーの人生は、パットの人生
に分岐している。

1のトリシアの人生は、結婚が悲惨だった、マークを選んだこと自体が失敗であった。
一見知的で思いやりのあったマークは、自分の成績が悪かったことから思い通りの職業につけずしかもパトリシアの呼び名まで友達とともに軽くつけようとする、その結果トリシアに。
彼から来たラブレターの束を信じて教師という職業をなげうって彼のもとに来たものの、彼の受け入れ態勢は整っていない。
しかも、思いやりのない性交渉で、心ならずも妊娠を繰り返し、堕胎も繰り返し、医者にとがめられるまでになる。
快楽の全くないパトリシアの性交渉であった。
しかしその結果複数の子供を持つことになる。
そして思いやりのないのは全てに敷衍していって、マークは自分のことしか考えていない非常に旧弊な男だというのがわかる。
信じていた離れていた時期のラブレターを燃やされるに至って、パトリシアは自らの甘さを思い知らされる。

2のパットの人生は、結婚が愛情に満ちている、変則的なものの。
彼女は愛情を女性に持ったのだった、レズビアンのカップルがここに誕生する、ビイというかけがえのない女性に出会うのだった。
しかも、彼女との間に子供は出来ないので、第三者との性交渉によって子供を持とうという気持ちに二人ともなる。
交渉をしてくれる男性はカメラマンであり、マイクルという善人であった。
そしてパトリシアとビイは複数の子供を持つことになる。

愛情は2の方が優れていて、しかも仕事という面で、1のマークという旧弊な夫からの横槍がないので、イタリアに魅せられた(これもマークの結婚を断って友達とイタリア旅行に行ったことから始まるので、断ったことの功績は大きい)パトリシアは本を出版する糸口をつかみ、これ以降彼女は本の執筆でお金を稼げるようになる。
しかし、社会情勢を見ると、2の場合はテロが横行し、愛する人たちがテロに巻き込まれ(これでビイは両足を切断することになる)、また核爆弾攻撃(米ソ双方がお互いの国に対して限定的ではあるが核攻撃をした)によって放射能が蔓延し甲状腺癌にマイクル、ビイの二人が侵されることになる。

・・・・
途中、1の方の人生のパトリシアが、ちらっとビイを見かける場面もある。
この場合、世界には同じようにビイは存在しているけれど、パトリシアと知り合うこともなくひたすら樹木の研究を続ける研究者として遠くで出てくる(どちらでもビイは樹木研究者)。→そして最後にパトリシアが思うように、この世界だったらビイはパトリシアに会うということなくても、足をなくす人生ではなかった。

読んでいて、パトリシアの人生が、1にしろ2にしろ段々近づいてきたと思った。
1のパトリシアは悲惨な結婚なのだが、そこが吹っ切れてから徐々に彼女らしさを取り戻していく。
彼女らしい闊達さ、知的な行動、人好きなところが開花していくのだ、1の抑圧されたパトリシアもまた。
2のパトリシアは最初から全開であるパトリシアなので彼女の才能を遺憾なく発揮しているのだが、この後半と1の後半がとても重なってくる。
そしてどちらも子供には恵まれている。
1は、ダグ、ヘレン、ジョージ、キャシー。
2は、フローラ、ジニー、フィリップ。

月については
1では国際宇宙ステーションと月面基地。
2ではヨーロッパ連合の軍事基地。

・結婚相手のマークは1の後半で、ゲイということがわかる、男性と暮らしているというところから。
そして2のパトリシアはレズビアンであった。
なのでこの二人の結婚はうまくいかなかったのだろうか。
1のパトリシアもレズビアンの要素を持っていたのあろうか。

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1と2で共通項は
・友達のマージョリーの登場
・マークの登場(しかし2では遠景のようになる)
・パトリシアの母親が高齢になった時に認知症になる
・母親が認知症になると同じく、パトリシアも認知症で施設に預けられる
(冒頭がこの場面で、パトリシアが混乱しているのがわかり、彼女の子供が何人だったのか誰がいたのかというのが『彼女自身の頭の問題』とここでは思ってしまう)

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2017.08.27 Y


評価 5

佐藤正午祭りまだまだ続く・・・

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非常に面白い。
出だしから魅了され、途中困惑しながらも(何しろ話が複雑)、大変満足して読み終わった。

ジャンプ、もそうだったけれど、
(もしあの時にああしていなかったら)がテーマになっている。
そしてこちらはもっとそのことを突き詰めていて、SFになってしまっているという・・・

・・・・
まず出だしで衝撃的な電車の話がある。
これは何だろう?と思っているとぶつっとそこで切れる。
そして全く別の話が始まる(この作り方も面白い、最後まで読んで最初のこの電車シーンを読むと感慨深い)

私(秋間文夫)のもとに『全く記憶のない親友』北川健と称する人からの電話がある。
話をしてみるが全く分からない。この人は誰だろう?
何かの勧誘なのか?
何かの宗教なのか?
しかも私(秋間文夫)は妻が出ていって離婚の最中という悲惨な状態であった。
そして数日後、北川の秘書から、貸金庫に一枚のフロッピーディスクと500万円の現金とある女性名義の預金通帳を受け取る。
フロッピーを読むと・・・


最初の北川の話を聞いていると『私(秋間文夫)』の気持ちがよくわかる。
何やら荒唐無稽で、向こう側の言っていることがさっぱりわからず、かすかに記憶のあるジュールとジム(お互いが好きだったトリュフォーの突然炎のごとく、から来ているのだろう)まで例えに出されているが、こちらは記憶がゼロだ。
このあいまいなまま、大金とわけのわからない話の入っているフロッピーディスクをもらうという戸惑いが痛いほどわかる。
(フロッピーディスクに、時代を感じるが)
これは何かの小説なのか?
その売り込みなのか?(私は、出版社に勤めている)

ねじれたねじれた物語。
そこには一人の女性を何とかして電車の事故から救おうとする一人の男性の時空を超えた愛の話であった。

何度も何度も同じような場面が出てくるし、話もくどいほど丁寧だ。
そこが嫌いな人もいると思うがこここそが真骨頂なのだと私は思った。
このくどさ、しつこさこそがいいなあと思わせるところなのだと。

またラスト近くで、ある人間がこの全ての話の中の誰であったのか、というのが氷解した時に、ああっと思った。
そうだったのか。
最初からいたのか。

・・・・・・・・・・・・・・・・

<以下ネタバレしています>
・水書弓子という人間が生きたか生きなかったか、というのが
非常に周りの人に影響を与えている。

・北川健は、電車の中で会った女性に一目ぼれする(1980年9月6日)
何度か出会ったあとに、ようやく彼女とある駅で一緒におりて一緒に行動することを承諾させる。
ところが、北川が電車内に傘を忘れたのをある小学生の女の子が車内から指摘。
それを彼女が取りに戻る。
その時に、北川は違う車両から降りた一人の男に声をかけられていた(これが秋間)
ドアが閉まり彼女は苦笑して次の駅から戻る、というような所作をする。
が。
彼女は永遠に彼のもとには戻らなかった、なぜなら先頭車両の人たちは次の駅までの間の電車転覆事故で亡くなっていたか、または重傷を負っていたから。
彼女はバレリーナ志望で一命はとりとめたが重傷を負った脚に、そのあと絶望して自殺した、数年後に。
北川と彼女の線は交わることはなかったのだった。

・これを北川は、タイムスリップすることによって、なんとか食い止めようとする。
北川がタイムスリップできるというのに気づいた時に徐々にその期間が延びていることに気づいて、いつかこの時に行けるのだろうと想像する。
この駅で、傘を無視すれば。
この駅で、彼女を降ろす頃ができたならば。
その一心で北川はタイムスリップするのだった。
これを映画の手法になぞらえて、アイリス・イン、アイリスアウトと名付ける。
うまくいかないので、何度もタイムスリップ。

・彼女の名前は水書弓子。
今ディスクを読んでいる出版社に勤める秋間の妻であった。
この世界では、水書弓子は、秋間弓子になり、秋間との間に一人子供をもうけている。
そして離婚しようとしている(これが現在)

・西里真紀。
彼女は北川と結婚した女性。
彼女は、両親をこの電車事故で亡くしている。

●一度目の人生
・秋間がホームで北川を見かけたので秋間も北川も事故にあわなかった。
・しかし傘を取りに行った水書弓子は重傷。
西里真紀の両親は電車事故で死亡。

このあと秋間と北川は親友に。
タイムスリップの理解者も秋間、そして秋間は映画監督。
秋間の目の前で北川はタイムスリップするのだった(こちら側の体は死亡する)

水書弓子、自殺。
西里真紀とは二人の子供を持つ、北川と。

●二度目の人生(タイムスリップする、上の一度目の人生の先から電車事故まで戻る)
・水書弓子は助かる。
・秋間をこの電車に乗らせるなという言葉を残して、北川は西里真紀の両親を救おうとする。
・が、かなわず北川自身が事故に巻き込まれ、重傷に。

このあと、
水書弓子はバレリーナの夢を捨て、秋間と結婚。
西里真紀は、ホテルの宴会係。
映画の会で秋間と知り合い深い関係になっている(これが現在)

・北川の秘書は、最初の電車事故の時に小学生で
傘が忘れられているのを知って
声をかけた女の子だった。
なので彼女はこの話が本当だ、とわかっているのだった。
北川は元妻の西垣真紀の名義で多額の通帳を残して、秋間に託している。

・新たに現在の時点でわかったこと。
ピュアという描写が続いているように見えた水書弓子は、不倫をしていた。
そして、のちに秋間と結婚した弓子との間の子どもはどちらの子供か非常にあいまいなものだった。
彼女が降りようと思った駅は実家のある下北沢ではなく、不倫相手のいるもっと先の駅だった。
また彼女は自分の才能に見切りをつけていたので、いずれにしてもバレリーナにはならなかった。
(苦い真相)

・最後のところで、北川は再び電車事故のところにタイムスリップしたように見える。
またYの分岐ができるのだろうか。


評価 4.8

長い・・・辛い・・・
長いが割合すらすら読めた。

・・・・・・・・・・・・・・
これはレーガンが大統領に選出された1980年の出来事だ。
モンタナ州の小さな山あいの町で、妻子と別居中のピートはソーシャルワーカーをしている。
彼自身の家庭にもまた問題があるのだが・・・。
そして彼は保護された11歳の少年ベンジャミンと出会う。


この主人公のピートの悲惨な人生と言ったらどうだろう。
妻子は別居中(しかも子供を目の中に入れても痛くないほど愛しているのに)、弟は服役を繰り返しいまや逃亡中、ピートがやっている仕事と言えば、ストレスたまりまくりのソーシャルワーカーだ。
このソーシャルワーカー業がまた強者揃いの相手であり、暴力振るうものあり、狂信者あり、子供に虐待をする者あり、と困った人のオンパレードだ。
特に終末論に傾いている頭のおかしいと見えるジェレマイア・パールとの交流は命懸けだ、何しろかっとすると相手は銃を持っているのだから。
しかしパールの息子ベンジャミンは、体は汚れてはいても無垢な心を持っていて、登校も出来ない状態なのだが、学校にあこがれを持っているようでピートを慕ってくれている。なんとかこの親子を真っ当にしたい・・・ピートの心も何度も挫折する。
また、何度も何度も助けの手を伸ばしても脱走してしまう問題児セシルの気持ちの中に何があったのか。彼のシングルマザーの元に戻すのは何か問題があるのか、そして彼の妹ケイティを救うのにはそうしたらいいのか、ピートは煩悶する。
ソーシャルワーカーの仕事の間に殴られるということは日常茶飯事で、しかも後半、今度はいわれのなき嫌疑で警官にまでめちゃくちゃにされている・・・何とも可哀想なピート。
もしかして彼自身が自分を罰しているのか、と思うほどの人生であり、仕事である。

ピート自身の家庭にも問題があるのが徐々にわかってくる。
特に妻が不倫をしたということで女性全般への不信感が高まるピートの姿が痛ましい。
また、娘のレイチェルは妻が引っ越してからも飲酒と乱交が止まらなく、家に不特定多数の男性や女性が出入りしているいわゆる問題家庭で過ごすことになる、そして、レイチェルの家出・・・
まさに娘が言うように、人の家を見ている場合ではなくピートは自分の家が仕事でお世話している家と全くかそれ以上の相似形を見せていることに気づくのだった。

・・・・・・・・・・・
レイチェルが第二の自分を作ってローズと名付け、客観的にレイチェルを見ているという構図のやり取り(おそらくソーシャルワーカーか、医療関係者かとのやり取り)が胸に刺さる。
徐々に堕ちていくレイチェル。
何度もお父さんに連絡という選択肢があったのにそれを使わないレイチェルの姿がまたここに浮き彫りにされている。

ラストが非常に辛い。
何らかの救いが欲しかった、ピート自身に対して。レイチェルに対して。
けれど、ここに一抹の救いを求めるとすれば、見守っているケイティと、最後にすり寄ってきたベンジャミンの姿だろうか。

謎が一つあった。それは予測されたいたこととはいえ、パールの奥さんの行方と子供たちの行方だった。
ベンジャミンを除く他の子供たちが4人もいたということに、ピートは後半自分の家で娘を探す旅に出た時に奥さんの実家に行って気づくのだった・・・そしてそれはまた一つの悲劇でもあった・・・


評価 5

良かった!
どこをとっても鮮やかな人間への描写と尽きせぬ探求が光る作品だ。
日常にある人間の心の襞(ひだ)のようなものを描き出している。


(作りもとても面白い。
・30代のルーシーBは、来てくれた母とともに過ごした入院の5日間がある。
まだ夫と幼い娘二人と(離れているので娘も心痛めているが、ルーシーBも心痛めている)

・ルーシーBは振り返る、惨めな学校生活を送り、お金もなく、食べ物もなかったし寒さすらしのげなかった過去の自分ルーシーAを。

・一方で、未来のルーシーCは入院していたルーシーAを振り返って考えている。
この時点で、夫とも別れ、子供たちとも別れ新しいパートナーと暮らしている初老の女性だ。
あの入院していた時の母は亡く、そして父もすでに亡い。
そして、ルーシーCとは作家になったルーシー・バートンだ。
彼女は作家になるべく、別の女流作家の講座に出たり研鑽を積んでいた。
(この研鑽の中で、課題で過去の自分の惨めさなどを書いているので、この作品全体がそれだ、というのがわかる)

・・・・・・・・・・・・・・・
私、は作家であり、もしかしたらこれがエリザベス・ストラウト?と錯覚させるつくりになっている。
私小説っぽい書き方なので余計にそうだ。さらに途中で作家の講座にルーシーが出てアドバイスをもらうという二重底のような作りになっていた、一体ルーシーが作者なのか、この作家が作者なのか・・・

後半で畳みかけるように、私の名前はルーシー・バートンというところが印象深い。
そして後半になると章立ての短さが加速していく。
ぐいぐいぐいぐいこちらに迫ってくるような書き方になっている。

私、は、白人だがいわゆる貧困層に入っている。
住んでいるのは親子5人で親戚のガレージであり、学校では汚い臭いといじめられている。
父も母も子供たちには手が回らない状態で、そこで生きていく私がいる。
姉も兄もさして成績は良くなかったのだが、「私」のみは、家に帰っても寒いので学校で宿題をこなしているうちに成績優秀で大学まで進学できることになる・・・


この物語は、『大人になって幼い子供二人がいるルーシー・バートンが入院して家族と離れ離れになる』ところに母が介護に来てくれる、というところから始まる。
母との久々の会話は、昔の人たちがどうしていたか、またいまはどうしたのかという話に発展して否応なくルーシーを過去に連れ戻す。
家族、そして村にいた人たち、その後(おおむね幸せではない)
そこには貧困と惨めな子供時代と、兄がゲイだったかも知れないことに対しての父の虐待などが潜んでいた。
母との会話は久しぶりであり、夜中の突然の検査でどきどきしていたらそのあとにそこに母が待っていたという事実がルーシーをなごませる。
けれど、母とルーシーの間には見えない川があるようだ。
一見和やかに話している二人だけれど。

そしてルーシーが入院していたのは子供が小さい30代の出来事だったけれど、その後、もまた描かれているのだ。
これ以降彼女は母と親しくやり取りをするわけでもない。
また、当時の夫とは別れお互いに違うパートナー(しかも夫のパートナーはこの入院の時に子供たちを連れてきた友人!)と一緒になって別の人生を歩んでいるのだ。

人生って・・・
そんなことを改めて考えさせてくれる小説だった。



評価 3.9

ガジェットとして、ノストラダムスの大予言がある。
自分の好きだった男の子、基(もとき)が亡くなってもしあの時ああしていなかったら・・・
別の道を行っていたなら・・・
「ネギ」こと日高あさぎは後悔の念に駆られている。

クラスメートの八女君が新たに寄り添ってくれることに・・・

・・・
ここに元中学校の親友、綾瀬、水戸チの話が加わり・・・

全体に、新興宗教、LGBT、青春物語、と散漫な印象が強い。
しかも水戸チは途中でフェイドアウト・・・冒頭のところでとても仲の良い三人と思ったのは錯覚だったのか?(立場が違っていったのはわかるにせよ)
悪役が誰かというのもあまりにわかりやすい。
あと・・・・ネギと綾瀬が一緒の場所にいるというある場面で、どう見ても、最初の内はネギしか見えなかったという・・・・ネギ視点だから余計にそう思ったのか。
ネギとお母さんとの関係性もラストになって出てきたけれど、そこまで子供がこんな目に合っているのに放置?とずうっともやもやしていた。あと妹は?妹がとってつけたように出てきたけれど、この子は一体?出てきただけ?お父さんは?と疑問は尽きない。

八女君もいい人だけれど今一つ見えない。
この子はこの特殊な生育環境をどのように受け止めているのかあまり実感としてこちら側に伝わってこなかった、
最初の方と後半と人が変わったようになっていくのにも違和感を感じた。
心をネギに開いたからか。

・・・・
大好きだった基が死んでしまったのはなぜかという話でもなく、分岐点の間違いがあってこうしたら助かったという話でもなく。
後半、彼の死から全く離れてしまうのも何なんだろう?

ラストの方の綾瀬の行動もよく理解できない。
彼女の心の動きもわからないまま終わっていった。

以下ネタバレ
・後半、爆弾による集団自決とかなんだろう。あまりに唐突すぎて・・・

・カウンセラーの桐が怪しいのはかなり初期から分かってしまう。

2016.05.06 忘れな草



評価 4.5

そして丸美中毒にかかった私・・・・
なんだかんだ言っても雪の断章はインパクトがあった。
毒になる小説というのは感想にも書いたが、毒にやられて中毒になった・・・

なんせ、文章の中毒性が強い。
誰も彼も小難しいことを話していて、違和感たっぷり(だってまだ学生の人たち・・・?)なのに読んでいると(そこがいいんだ!)という気持ちになってくる。
もしかしてこの人の話すこと頭にしか存在していない上っ面の言葉?とか思っていても、ついついこの語り口に引き込まれてしまう。

そして物語そのものも・・・・

・・・・
今回は、またしても親がいない二人の子供、泣き虫葵と美しい弥生、の話で、まあ・・・やたらめったら二人が反目しあってるのだ。
ダブル孤児ということで雪の断章の孤児バージョンがさらにパワーアップしている。
こんなに孤児ばかりいるのか!と突っ込みたくなる。
小さい時にはひっかきあったりとっくみあったり、ひがんだり貶めたり、まあこれも子供だから・・・と生ぬるく見ているが・・・。

けれど、大きくなってからさえも変わらない。
さらに面倒なことには、一人の少女の方には小さい時から悔しくて涙を流していると、必ずどこからともなく現れて慰めてくれるという奇跡のような男の人がいる(ここは少女漫画っぽい)
当然ながらこの人に心を寄せるようになる。

そしてある日、驚愕すべきことがわかる。
大企業の継承権を持つのが、葵なのか、弥生なのか、どちらかを見定めるための作業が始まる。
そして二人は屋敷に閉じ込められる。
常識でいえば、もうほとんど犯罪だ、学校はどうした!この子たちの人権はどうした!とここまた突っ込みたくなる。
しかも途中でやめました、とか言って、片方が楊子さんになる・・・ああ・・わかりにくいっ!
突然名前を変えて、それをやめることができるのかっ!

大企業の話がまた、ややわかりにくい。
誰が誰やらわかりにくいし(5人もかかわっている大人の人たちがいる)、継承権がどっちだ、と言われ、小さい頃の思い出をたどっていくがこれまた怪しくて、泣き虫と言っても小さい時に泣き虫だからと言って大きくなって泣き虫とは限らないしなあ・・・と思いつつ読んでいた。
どうやら二人は権力闘争の駒として扱われているのだなあ・・・というのが途中でようやく見えてきた。

教育係の高杉というクールな男がまた二人の心を引き付ける。
どちらもイケメンらしい彼に好意を寄せる。
しかし・・・閉ざされたこんな空間にいてイケメンが一人いたら、それは疑似恋愛でも何でもするだろう・・・
更にに驚くべきことに、片方がいきなり知らない男の人と結婚させられる(これも当時の少女の夢、なんだろうか・・・)
氏名の名前が高杉と同じなので、結婚させられた方は、高杉がその当人じゃないか!黙っているだけじゃないか!と心震わせている(少女としてこの気持ちはよくわかる)

・・・
この中で、雪の断章のトキさんが再び出てくる、それもかなり重要な役で。
しかも!
雪の断章とこの話どうやら並行らしく、雪の断章の方の出来事を愚痴ったりしている、つまりは、雪の断章で出なかったトキさんの本音が出てくるのだ。
もっと私が驚いたのは、この最後の方で、まさかの史郎さんが出てくる、雪の断章の最後の局面の前の史郎さんが!
もう権力闘争とか、誰が誰を好きだとかそっちはどうでもいいような気がしていたが、私のご贔屓の史郎さんの出番で一気に盛り上がった、テンションが(雪の断章の中で唯一惹かれた男の人)。
こうだったのか・・・
雪の断章の裏側にこういうことがあったのか・・・とそこが非常に面白く読めた。

2015.11.18 我が家の問題


評価 5

前作、家日和がとても良かったので、シリーズのこちらも続いて読書。


これまた良かった。
取り上げようによっては深刻な話、になるような話をユーモアとペーソスでうまくコーティングしている。

甘い生活?がわかってわかって、笑いながらこれまたどきっとしたのだった。
誰に相談しても、お前がわがままだと言われる新婚生活。
妻には何の瑕疵もなく、一生懸命尽くしてくれて、遅かったら遅かったで夜食まで作って待っていてくれる。
でも夫は帰宅したくない、挙句の果てに近所の喫茶店で一服して帰宅するようにさえなる・・・
夫が妻を分析していく様子が痛いほどわかったのだった、こういう女性って多いんだろうなあと、思い出作り、とか、スタンプラリーとか、ブランド集めとか名所旧跡で写真を撮る話とかをこういう形で分析すると、そうだなあ・・・と改めて思った。

ハズバンドは、最初妻の勘違いかと思った、妻がふとしたことで、夫が社内で仕事が出来ない、馬鹿にされている存在だと言うことに気づいたのが。
でもそれは真実であって、それに対して、妻は悩む。
悩むがここからが妻の優しさであって、お弁当作りに励んでなんとか夫を楽しくさせてあげたいと思ったりするところがいじらしい。
姑とかのとんちんかんな真実を知らない物言いにも冷静に対処している身重の妻が本当に愛らしい。

夫とUFOの妻もまた素晴らしい。
UFOと川原で交信していると言い放つ夫。
妻は頭を抱えながら、こっそり彼の後をついていく。
2回目に行ったときに
「これからおとうさんを救出してきます」
と子供に言うこの姿に泣けた。
そして彼女のとったとっぴな行動も、そしてそれにこめられた愛にも泣けた。
普通ここで怒るだろう、でもこの妻はものすごく正しい選択をしたのだ。

・・・・・・・・・・・・
小さなことが毎日起こる家庭。
それをどのように対応していくか、どういう受け止め方をするか、それはとりもなおさず、
「生きていく」と言うとの中での小さな困ったこと、に対する対応と繫がるのだと思った。


評価 4.7

アーサー王伝説があり、竜がいる世界であり、騎士がいる世界であり、ファンタジーめいており、記憶をなくした人間達の話、という事前の情報は入っていた。
このファンタジー部分と言うのがとても引っかかっていたのだが・・・・
ファンタジーはアイテムとしてはつかわれているが、さほど気にならない。
話としては次々と新しい展開があって、引き付けられるし思わず読みふける。

イニシエーションの旅、と言うのを思った。
メタファーが多くて、いかようにもこの物語、受け取れる。
これでいいのか?受け止め方は?と何度もページを繰ったのだった。
が、ここからは好みだろうが、どちらかといえば、カズオ・イシグロのファンタジー要素(要素ではあるが厳然としてあるにはある)が入っていない小説の方が私は好き、かもしれない。
場面場面が目に浮かぶし、会話も非常に示唆に富んでいて滋味深い、とは思う。
実に読ませるのだが、が!

以下ネタバレあり。



・・・・・・・・・・・
最初の、穴倉(!)のような所に住んでいる人間達の姿(これがブリテン人となっている)があり、そこに二人の老夫婦がいる。
この老夫婦はなぜか皆から疎まれていて、真っ暗闇の中で生活している(ろうそくを普通の人間は使えるようだが、この二人は使わせてもらえない)
二人とも集団の中でいじめにあっているようだ。
おまけに二人とも記憶が曖昧になっていて、息子がいる、ということは思い出しても、さて息子はどうしたのかというのは思い出せない。

最初、この二人のみが記憶をなくしている、ちょっと老いてしまった老人の話、と思っていたら、そうではなかった。
霧がかかっているこの世界、皆が過去の記憶をぼんやりとなくしているのだ。
でもこの記憶をなくす、というのが、読んでいると、微妙にばっくりなくしているというのでなく、ある部分のみの欠落でしかも人によって違う、というのが徐々にわかってくる。
それが証拠に、老夫婦が二人で息子のいる島に行こう!(なんで島が突然出てきたのかここもわからないのだが)と思い立った次の日もその次の日も、「息子の島に行こう!」ということは忘れないのだ。
この記憶は保たれている、しかも二人に(だから記憶をなくしている、と言っても、ある部分のなくし方なので、ここがわかりにくい)
お姫様と老妻ベアトリスを呼ぶ夫アクセルがいて、二人はよろよろと旅に出る。

そして旅先で色々な人に出会っていく。
最初にのちのちに意味深い船頭にあって、深い会話がある。
最初に訪れた、サクソン人の村では、長に庇われるものの、村全体が騒然としている。
そこでは悪鬼にやられた村人がいて、囲いの外を警戒する警備人も浮き足立っている。
ここで出会ったのが、サクソン人の若い騎士ウィスタンと、子供で鬼に噛まれた跡が身体にあるというので村人からリンチにあわされそうになっている子供エドウィン。
彼らとともに二人は旅することになる、村を出て。
(ここで、サクソン人とブリテン人の抗争、違いのようなものも語られていて、ここがとても興味深い。
閉鎖された村から異形のものを追い出す(鬼に噛まれた跡のある子供)というのも、村の掟のようだが、元々老夫婦も自らの意思とはいえ、自分の住んでいた穴倉からいじめられて出てきたわけだから共通項はある。
またここで謎の一つ、なぜみんなが記憶をなくしていたのか、と言う謎が解ける。
それは竜クエリグの出す忘却の霧で皆が記憶をやられていたのだ。)

老妻ベアトリスの具合が今ひとつ良くないので、その救済もかねて名高い僧のいる修道院に行こうとする一行。
しかしその途中で今度は別の騎士、自称アーサー王の一派の老騎士に出会う。
この老騎士は、なぜか老人を見るとはっとする・・・隠れた記憶があるので一体何なのか。
修道院で、味方もいて敵もいて、地下に入ったり騙されたり、人に助けられたり、ここは一種の活劇だ。
そのあと、ばらばらになった一行がまた一つになり、瀕死の状態の若い騎士ウィスタンもまたエドウィンとともに合流していくのだ。
(老騎士ガウェインは、実は竜を守っていた。
最終的にウィスタンにやられてしまうのだが。
竜をやっつける場面は案外あっさりとしている、それよりもその後に語られる、忘れられた巨人が目覚める、動き出すというのが実に怖い、忘れると言うことでブリテン(ケルト系)とサクソン(ゲルマン系)の友好の絆が保たれていたが、それがぶっつりと切れるということなのだ。

また仲の良い夫婦と思っていた老夫妻には実はさまざまなことがあった。
老人のいない間の妻の不貞、そしてそれに対する老人の対処に反発した息子の家出とそのあとの死、死んだ息子の墓参りを禁じた老人の横暴さと老妻の悲しみ・・・・)

最後、また船頭の話に戻っていく。
老妻ベアトリスは身体が悪い、それはずうっと最初から語られている。
だから船頭は死の世界への船頭だと思った、私は。
老妻のみが船頭に乗せられて行って老人は取り残されるが、自ら川に入っていく・・・

ワタシは最高にツイている (幻冬舎文庫)ワタシは最高にツイている (幻冬舎文庫)
(2010/02)
小林 聡美

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評価 4.7

なんだか裏バージョンのようだ、三谷幸喜のエッセイの。
同じ動物達(とびとかおとっつぁんとか)が出てくるせいだろう。

いい意味で気が抜けたエッセイで読んでいてほっこりする。
タイトルは自己啓発の本からなのだが、これがまた説得力がある文章だ。
また、占いの話があるが、これが出た時点と今と彼女の状況が違っているので、あとからこういう占いを検証してみると実に複雑な気持ちになってくる(私もだが、ご本人もきっと)

白い布を下において撮影する方法、
髪型の変遷、
時代劇のかつらの話、
かもめ食堂のロケの話、
とのんびり読んでいると、心がほこっとするのだった。
私の命はあなたの命より軽い私の命はあなたの命より軽い
(2014/11/13)
近藤 史恵

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評価 4.4

もろもろの事情で実家に帰らざるを得ない妊婦がいる。
そこは実に普通の家庭であったはずだった。
ところが家に帰ってみると
優しかった母、働き者の父、そして年の離れて父に可愛がられたはずの妹が険悪な状態になっていた。
家族がお互いに嘘で塗り固められているようだ。
買ったばかりの家を売ろうとしているのはなぜか。
父が妹に辛く当たるのはなぜか。
一体何があったのだろう・・・・


途中まで何が起こったのかまったくわからない。
そのあたりはサスペンスフルだ。
自分が結婚して家を出て、普通の連絡を取っていて、遠さから多少の距離はあったものの、決定的な何か、がこの家族に起こったことは必至だ。
それを解き明かそうとする姉。
なんせ臨月近い妊婦なので身動きが鈍い。
読んでいてそこもまたはらはら感に拍車をかける。
そして真相がわかるのだが・・・

真相がもっともっと仰天するものだったら良かった。
これだと、予想範囲内でただこのことを家族が妊婦に隠していた話、と見えてしまうからだ。
あと真相がばれる過程が友達の話とかが多い。
妊婦で動き回れないからもあるだろうが、この辺が動きが少なくちょっと不満だった。
が!
面白かったのは、ラスト2ページだった。
ああ・・なんて真っ黒・・・・ここがあるのが非常に面白い。
タイトルの意味も途中でわかるのだが、その意味すらここでばっと関係してくるのだ。

以下ネタバレ
家族の秘密は
中学生の妹が男の子と関係して、妊娠して堕胎したこと。
そしてその男の子が、引っ越したばかりの家の庭で首吊り自殺をしたこと。
さらには妹の親友が、同じ高校に行って妹と間違えられ堕胎した娘の烙印を押され、自殺したこと。

このあたりで妹と父は険悪、家を売ろうにも首吊りの一軒があるので売れない、妹は精神的に参っているということになっている。
タイトルの私の命はあなたの命より軽いは、かたや子供を生める姉、生めなかった妹の差はなんだろうか、というもの。

・最後の2ページ。
妹はもしかして生めた姉に嫉妬してないか(と姉が考える)
そして、姉が助けた妹は、姉の近くのマンションに住み始める。
しかし姉の夫(つまり妹から見ると義兄)が妹と関係があるのではないか(と姉が考える)