2018.04.18 樽とタタン



評価 4.8

ほのぼのとした昭和テイストのお話、といった感じの小説だった。
読んでいて読む端から忘れていくような気がしていたのだが、あとで章のタイトルを見ると鮮やかにタタンの姿が思い出される。
一種、タタンと追体験したような気がしたのだった、私もまた樽の中に入って。

喫茶店に放課後預けられていた小学生の女の子。
彼女はタタンというあだ名を喫茶店に来る人たちからつけられている。
大きな樽の中にすぽっと入って、喫茶店の中を眺めているのが好きだったタタン。
喫茶店には小説家のおじいさんを含め少数の人が出入りしていた・・・


喫茶店という限られた空間の中でのやり取りが何とも微笑ましい。
微笑ましくなるのは、見ているのが小学生の女の子の視線、だからだ。
この女の子がもうずうっと前に大人になって回想しているというのはかなり初期にわかっている。
だから、これは回想の物語であり、もう今はおそらくいない人たちの物語なんだろうなあというのを想像しながら読むことになる。
今はこれがこうだとわかっている、けれどその当時の小学生の自分にはよくわからなかった、という文章もまた良く出てくる。
つまりはそういうことなのだろう、昔はわからなかったこと、わからなかった人たち、わからなかった出来事、それを追想して書いていった物語、でもある。

町内会の野球チーム、での屈折した学生さんって昭和にいたなあ・・・と懐かしく思いながら読んでいた。
理屈で頭を一杯にして、それを披歴していく自意識の高い感じの男性。
今だったらツイッターとかで持論を展開しそうな感じのタイプだ。
でもここは昭和の喫茶店なので、誰にも寄り付いてほしくないですよ、でも私がいることはわかっていてほしいですよ、こういう自分は特別なんですよ、という何とも厄介なタイプだけれど、それでも憎めない感じが漂っている。

この中の傑作は、ぱっと消えてぴっと入る、だと思った。
作者はこういうのを書くから侮れない。
ちょっとの間一緒にいた祖母の話だが、彼女がどう一緒に生きてくれたのかというのがこちらにぐっと伝わってくる。
亡くなった時に心の中に入り込んだ祖母。
最後の一行が忘れられない。


評価 4.9

一読した後、(自分は何て無知だったんだろう・・・)と頭を垂れた。
コーダという言葉、日本手話と日本語対応手話の二つが手話にあるという事・・・
「おじさんは、私たちの味方?それとも敵?」という少女の言葉が焼き付いて離れない。
また喫茶店でろう者の人と手話で話している時に聞こえてきた健常者の親子の心無い言葉にむっとした荒井の行動も忘れ難い。
場面場面が立ち上げるように眼前に広がっていく。

・・・・・・・・・・・・・
冒頭からしばらくは気持ちが沈むような読書だ。
なぜなら、仕事も結婚も失敗した中年の男性荒井尚人の職探しから始まる物語だ。
しかも彼には新たな恋人がいる。
いるにもかかわらず、何か薄皮のあるような彼の態度にいらっとする(恋人も恐らくそう)

なぜ彼はこんな風な生き方なのか。
前職は一体何だったのか。
そしてどういう経緯で前職をやめたのか。
何よりも、彼の根源にある全てに心を閉ざす原因とは何だったのか。

読んでいるうちに徐々にこれが晴れてくる。
その過程が実にこちらの胸に響いてきた。
彼は唯一の技能を生かして法廷の手話通訳を引き受けるのだった。

ろう者の社会で起きた出来事に触れていくうちに、ある事件に巻き込まれていく荒井。
そしてそれは過去の出来事とも大きくかかわっているのが、だんだんにわかってくる。
だから、ミステリであり、途中で、おおっ!と驚く部分が確かにあるのだ。

コーダ。
それはろう者同士の間に生まれた耳の聞こえる子供。
初めて私はこの言葉をこの本で知った。
両親が手話を使って話す『家庭』と、『社会』では健常者であり普通の人として扱われる微妙な存在が、コーダだということも。
コーダは自分からそれを言わない限りはわからない、全くの健常者として生きていくことだってできるのだ、両親のことを何も言わなければ。
そこが非常に葛藤を生むというところなのだと想像する。
一方で、ろう者の両親がいるという厳然とした事実、その中で育ててもらったという事実があり、外では普通の人として生きたい、でもそれは両親を否定することになるのだろうかというジレンマもあるだろう。

・・・・・・・・・
最後の方である事実がめくれあがってくるように明らかになる。
それもまた哀しい一つの事実でもあった。
2018.03.06 地下鉄道



評価 5

良かった。

アメリカの奴隷制度を根幹にした物語だ。
それもまだ奴隷州があった時代の話である。

最初のところで祖母の時代とあり、これもかなり鎖につながれた悲惨な連れてこられ方をして転売されて、そこから母が生まれ、そして主人公のコーラが生まれるまでが描かれている。
同時にコーラが逃亡という提案を持ち掛けられたことも。

中盤までとても読むのが苦しかった小説だった。
小説とわかっていても、現実に黒人差別はあったわけでそこはリアリズムであり、こんなひどい農園が実際にいくつもあったのだろうという事も容易に想像がつく。

・・・・
話の中で、タイトルにもなった地下鉄道がある。
逃亡した黒人を救ってくれるいわば生命線のような地下鉄道の存在。
これこそが、作者が描いた虚構の世界であるがひどく魅せられる存在でもある。
白人は知らない発着所、皆が秘密裏に行っている移送手段、車掌も調達していれば駅長すらいる。
でも誰も口を割らないので、どこにあるか一切わからない地下鉄道。
苦難の末逃亡した黒人の少女コーラも、地下鉄道のお世話になりながらなんとか生き延びていく。

解説を見て、なるほどなあと思ったのは、奴隷州から(主に南部)自由州(北部)に逃亡する奴隷たちを救い逃亡を助ける組織の名前を『地下鉄道』と言ったらしい。
ここに着想を得て、作者が実際に鉄道があったら、と考えたのがこの作品だ。

農場で過酷な労働を強いられる黒人の少女コーラ。
彼女の母親はかつて逃亡して逃げおおせた一人だ。
置いて行かれたコーラは、母親に対して複雑な思いを持っている。
不屈の精神を持っているコーラは横暴な主人が残虐な仕打ちを同じ奴隷にするのを見て庇ったりもするし、自分の土地を主張したりする。
そしてとうとう頭のおかしい者の入るモブという場所に住むことになる(しかしこのことが逆にコーラを救う事にもなっている)
そんなコーラがある日同じ農場で働いている新入りの奴隷に誘われ逃亡を決意するのだが・・・


何しろ凄まじい、暴虐の限りを尽くす白人の姿が凄まじい。
最初の農園で日常的にしかも何の前触れもなく気分で怒りを爆発させる白人の主人に奴隷達はなすすべもない。
それは家畜以下であり、反逆の意志を持つことすら難しいのだ。

そしてとうとう逃亡。
逃亡場面は息が詰まるほどの迫力のある場面だった。
追手が迫る中生死を分けた戦いと言ってもいいだろう。

ジョージア→サウスカロライナ→ノースカロライナ→テネシー→インディアナ→北部と逃亡は続く。
執拗に追ってくるのが、かつて逃亡したコーラの母親をどうしても見つけられなかった悪名高い奴隷狩りのリッジウェイだった・・・
この逃亡のさなかで、一瞬ほっとする場面が多々ある。
たとえば、サウスカロライナでは一瞬(ああ・・・こここそが生きていく場所)と思えるような食事があり、仲間がいて、コーラ良かったね~と声をかけてあげたい気もする場所のように見える。
農場よりはるかに良い環境の場所。
しかし、実際は、不妊手術を強要する場でもあり、人体実験がひそかにある場所でもあり、隠れたおぞましい場所でもあったのだ。
ノースカロライナでは、屋根裏部屋に押し込められるとはいえ、白人の夫婦に助けられている、彼らはまた地下鉄道とかかわっている人達でもある。
ここで印象的なのは、主人の白人夫婦を最終で陥れたのが同じ白人のアイルランドからの移民であったということだ。
屋根裏に潜んでいたコーラの視点も忘れ難い、一見幸せそうな外の光景があるが、金曜日には黒人を血祭りにあげる『お祭り』がある。
そして延々と続いている黒人の吊るし首の道・・・・
ここでもまた幸せそうな仮面の裏側というのをくっきりと映し出してくれる、しかも屋根裏の小さな穴から覗く一コマ一コマとして。

そしてリッジウェイに捕まりテネシーを引っ張りまわされるコーラの姿がある。
テネシーの最後の部分で、リッジウェイに報復をするコーラの姿が雄々しい。

・・・・
最終でコーラが訪れた本当の安楽の地と思われたインディアナ。
ここでコーラは本格的に本を読み始めほのかな恋もし、外出もし、この中での普通のお祭りもし、いわゆる普通の生活をするようになる。
それでもかつての農場での暮らし、逃亡での出来事などが彼女を苛むのだ。
しかしこの平和な暮らしも、ある日突然破れる、このような黒人たちがいる場所への白人からの襲撃により失われるのだった・・・
そしてまたしてもリッジウェイ(前のところで殺せばよかった・・・と思った)が!
しかしコーラもまたたくましく生きていくことができるようになっていた・・・
地下鉄道に案内しながらもなんとか彼の息の根を止めようとするコーラ・・・
そしてまた逃亡・・・

・・・・
場所の間に入っている人の描写も非常に面白い。
リッジウェイの側の理屈、墓堀をしている医者の話、コーラを最初に逃亡に誘ったシーザーの話、かくまってくれてその挙句にその罪で処刑された白人の妻の話、そして何よりも、コーラの逃亡した母がいったいどういう結末だったのかという驚きの事実。
この間に入ってくる人たちが、現在進行形ではなく、過去の人になっている時もあるので(死亡してしまっている人の話)、そこもまた構成として巧いと思った。
この人の行く末を知りながら読者は読むことになる、ちょっと前の彼もしくは彼女の思考を辿りながら。

インディアナの農場で、最後にランダー氏がする演説がとても心に残った(359から361ページ)

2018.02.20 デカメロン



評価 5(飛び抜け)

ものすごく敷居が高くてものすごく読みにくいんだろうなあ・・・と勝手な思いを持ちながら読み始めたら!
な・・・なんて読みやすい、しかも註までが面白い!!
更になんて、好色!ほぼエロ話が多いじゃないか!!
しかも日にちが変わるたびに、人々が動き詩を読み、語り、飲み、ある時にが移動する、なんて美しい光景なんだろう、外ではペストが猛威を振るっているのに。

メモを取りながら読んだというのは久々だが、折角なのでメモを取って全体を把握しようと思った。
私が説明しなくても、説明しているところは沢山あると思うのでそこを参照にしていただければ、だが・・・
『10日間、男女の語る物語』なのだ。
男女は何人いるかというと男3人、女7人だ。
それぞれが語るので、1日10話そして10日間なので100話の短編集になる。
その間間にその時の皆の様子とか多少の話への感想などが織り込まれている。
千夜一夜物語とかと大きく違うのは、ずるずると一つの話が次の話を生み・・・という入れ子形式ではなく(千夜一夜物語はこう)、一編一編が独立している。
そして似通った話もまた多々ある、これはさっきお聞きしなかったか?と聞きたいような話がしらっと語られていくのもまた一興だ。

そもそも、このデカメロンってなんで男女が集まってこういう話をし始めたのかというのを私は知らなかった。
話したい!!といって10人の仲良しが集まったのか。
暇人たちだったのか。
話好きの人たちだったのか。
色々思っていたら、最初の方でそれが詳しく書かれていてなるほど!!!と膝を打ったのだった。
それは、
当時ペストが蔓延していて酷い状況のヨーロッパのイタリアフィレンツェで、別荘に避難していた健康な男女10人の物語、
だったのだ。
この人たちは避難者であり、むごたらしい死に様が蔓延している都市の状況を回避した人たちであり、しかも女性7人がたまたま教会に行き(ペストから逃げ込んだような形)どこかに避難したいけど女性だけじゃねえ・・・と言っていたら、運よくそこに品のいい健康な男性3人がいたのでこれ幸いでじゃあここから逃げて別荘に行きましょう、ということになっていた。
着いたら着いたで、そこでの退屈な日々を(いくら美しい庭園でも飽きるだろう・・・)楽しくするために、面白い話をしあいましょう、という流れになっている。
だからこの話、避難者たちの現実逃避の物語と言えば物語だった。

・・・・・・・・・・・
話の決まりごとは、1日に誰かが王様、または王女様役になることだが、これは仕切る人ということだろう。
また1日目はだららだと話しているのだが。
(だから1日目はさほど面白くない)
2日目以降はテーマが決まっている。そこに合わせたテーマということになっている。
それぞれの物語の最初に、その物語の概要、というのもついていて至れり尽くせり、という感じだ。
もし途中で話がちょっとこんがらがっても、最初の底の手引きを見れば、ああなるほど!とわかってまた本文に戻れるという新説設計だ。
作者のボッカチオ、疲れたのか、途中でまたテーマなしでいいじゃないかと突然変化しているのもご愛敬だ・・・しかしこれは一体・・・
また、日によって極端に話が短い日の連続の日もある、一つだけが短いのではなく全体が短いというような・・・これは一体?ボッカチオ、なんらかの意図があるのか・・・飽きたのか・・・

・・・・・・・・・・
好色な話が多く、18歳未満禁止!みたいな話も多々ある。
けれど陰湿ではなく、大爆笑できる好色な話なのでそこは難なく読み解けていく。
目立っているのは、修道院長とか聖職者とかが意外に好色に描かれている、ということだ。
この人たちがあたふたする姿がボッカチオが描きたかったんじゃないかと思うほど聖職者関係の好色話が多い。
夫婦の騙しあいみたいな話も多い。

3日目の最初の話は、しゃべれない振りをして修道院の女性たちと次々に関係してしまうというとんでもない話だ。
かと思えば、2日目の7話などは、女性が次々と9人の男と関係してしまうというトンデモ話で(しかも楽しんでる)、これを紳士淑女の人たちが笑いをこらえて聞いていた、というのもまた奇妙な好色っぷりだ。

2日目の9話で妻の貞操を試そうとする夫の話もとても面白い、男装の妻が出てくるところも興味深い。
3日目の2話は、王様の馬番が憧れていた王妃をだまして通じてしまう、うまくやりやがって、というところなのだが、普通ならこれは死刑だろう、でも王様がとても寛大な処置をとる。これに対して皆が褒めるのだが・・・王様が無理矢理いい恰好しているのか、などと私は思った。

4日目の2話は、修道士が人妻と関係したいがために自分がガブリエル天使だと偽ってまんまと人妻が騙されているが、なんだこの人妻は?と大笑いしていた。
4日目の9話はかなりかなり暗い話で珍しくホラー寄りだ。なぜなら不貞を働いている妻に、動物の一部だと言って、愛人の心臓を何食わぬ顔で食べさせる夫が描かれている。
激しいのは、5日目の8話もで、騎士が女を犬に殺させる風景、というのを女性に見せて俺に従わなくちゃこうなるよといわば脅しをかけていいなりに結婚を承諾させる話だ。(これがこの本の表紙にもなっている、大変印象深い話だ、今の言葉で言えば強烈なハラスメントとはいえ)

6日目は全体に短い。
短い中でも4日目の料理に出した鶴の話(片足がないが実際に鶴は両足があるのでそれに声をかけるという話)は非常に有名だが、これってバージョンがたくさんないだろうか?子供向けにもリライトされているし、他の国の話でもあった気がする。

7日目は面白い話が目白押しだ。
なぜならここは一応『女たちが夫に対してやった悪さ』というテーマがあるから痛快なのだ。
妻が夫を女装させたり、妻の情事の相手を樽に隠してやりたい放題したり、嫉妬する夫が司祭に化け妻を懺悔させるのだが妻の方が一枚上手で逆に騙したり、妻が夫を女装させたり、自分の妻と思ってお仕置きをしたら別人をたたいていたり、妻が大活躍の7日目だ。

8日目になると3、6,9が同じ面々になってくる。
話に出てくるのが、愚か者のカランドリーノ、ブルーノ、ブッファルマッコ(いたずらをする男)という三人組が登場してくる。
これは9日目でも共通で、この三人が悪事をやらかしたり、ダメになったりと大活躍だ。

10日目はさすがにラストの日、なので、なんとなくだが、教訓めいた話が多い。
騎士のすばらしさをたたえたり、老王が若い娘によこしまな心を持つが重臣に窘められ我に返る(という王様は実際には少なかっただろうから、というかほとんどいなかっただろうから、夢物語だったのだろう)という話などがある。

こうしてみると、男装している、女装している、という話もまた多い。
夫が女装、妻が男装というパターンが多いのだが・・・。
また大人のふるまいというのもとても高く評価されている、馬番に妻を寝取られながらも、寛大な処置を行った王様のように。


評価 4.9

興味のない人には、これが???と思う事だろう。
まさに今年からこれをやりたい!!と思っていた私にはうってつけの本だった。
興味津々どころか私の興味のツボ中のツボを突いてきてくれる。
(ついでに言えば著者の松田青子さんの読書エッセイもまたツボを突きまくってくれた。
読みどころとか読んだ本とかが被っていて、そうなのそうなお!!と手を取り合いたかった。
そういう意味で、勝手に波長が合う人と思っている)

これは何の本かと言えば、風景印の本なのだ。
風景印ってなに?と思う人が多いだろうけれども、郵便局で(それも一部の)頼めば風景の印を消印代わりにおしてくれるサービスだ。
だから?と言われればそれまでなのだが・・・(このあたりがこれが???と思う人が必ずやいるだろうと思うところ)
コレクター魂を刺激するばかりか、その風景印に描かれている場所はその近くの物や場所なので(たとえば上野だったらパンダとか、国会内郵便局だったら国会議事堂とか)歴史も感じられる。

私が一点わかっていなかったのは、消印だから出さなくてはいけないのかと誤解していたことだった。
それは違って、消印だから切手は確かに必要だが、別にそれはハガキでなくても良くて普通の紙の切手を貼って風景印をその場で風景印をおしてもらってそのまま帰宅するということができるらしい。
要はこの中にもあるように御朱印帳のようなものだ。

・・・・
東京を制するということで、東京の各区の郵便局で風景印を押してもらっている。
当然ながらうまい下手、またお気の毒なことにその人の責任ではないが印そのものが古びていたりインクが少なかったりして巧く押せない、またはその人の力の加減で巧く押せないというのも描かれている。
しかし郵便局の実名を挙げているので、かなりかなりこの本、いい評価のところが多いがちょっと失敗しちゃったところは責任をさぞ感じているだろう。

一番感動した風景印は大森郵便局の原稿用紙の風景印だった・・・なんて素晴らしい・・・

この収集、ポケモンGOに似てるなあ・・・と思いながら読んでいたら、まさに途中でその話が出てきた。
同時にやるのに(なんせポケモンGOも歩く)都合がいいということだった。
2018.01.09 図書館島



評価 4.7

評価をつけるのに逡巡した。
ある箇所は飛び抜けて良くて思い切り話に惹きつけられる、いかに私がファンタジーが苦手であっても。
流麗な文章と精密な描写で全てが目の前に立ち上がってくるような気持ちにさせられる。
ああ・・なんて美しい文章なんだろう・・・と何度もはっとさせられた。
(訳者の方のご苦労がしのばれる・・・)
幼い頃に読んだ物語、そのものを味わうという気持ちにさせられた。
一方で、
勝手なこちらの予断であるけれど、タイトルから想像される図書館が前面に出て、という箇所はあまり見当たらない。
(幽閉された島が巨大な王立図書館はあるのだが・・・)
書物が非常に重要な何かでごっそり書物の名前が出てくるかといえばそうでもない。
後半、一種活劇のようになってくるのも意外と言えば意外だ。
そして何よりも次から次へと新しい言葉、新しい用語、新しい場所の名前がぼんぼん絶え間なく出てくるので、最初読んだ時にこれを把握するのに手間がかかった。否、手間がかかるといういい方は失礼にあたるだろう、そここそがこの話の真骨頂なのだから。微に入り細に入りの描写が。
けれど、まだ前の何かの言葉が把握しきれていないうちに次の言葉がどんどん出てくるというのは読み手にとっては嬉しいような、難儀なような、そういう複雑な気持ちなのだ。

冒頭の地図も折あるごとに見ていたのだが、私の見方が悪いのか、どこがどうなのかよくわからない。
何しろ国の名前も海の名前もすべて架空なので、恐ろしくテキスト(物語)と突合せに手間がかかるのだ(また手間がかかる・・・)


紅茶諸島の中の小さな辺境の島ティニマヴェト島。
そこで胡椒によって財を成した一族がいた。
長は独裁的な趣のある男だったが、二人の息子のうちの見込みのある次男に全てを託そうとする。
そして彼は異国から来た師によって、別の国の言語を教わり、外の世界に目を向ける。
父親の死後、胡椒の買い付けはあるのだがそれよりも何よりも外の世界が見たくて、船で憧れの帝都オロンドリアに旅立っていく・・・従者とともに。


とはいえ、前半は非常に読みやすい(たとえ次々と知らない言葉ができたとしても)。
一種横暴の極みにいる父親が亡くなって、ようやく外の世界に胡椒の買い付けという名目で出ていくことができるジェヴィックという青年が主人公だ。
彼の生い立ちも詳しく書いてあってここは、どろどろとした王様の一族の家族模様を描くように描かれている、また一種王様のようなのだ、父親は。
発達の遅れている兄にがっかりする父親に見込まれた唯一まともと思われた次男は、父の計らいによって異国の師にあらゆることを教わる、皮肉なことに父親が必要のないことまでこの師から賢い息子は学ぶのだった。
このあたりは、風景描写と合わせてとても面白い。
そして船で旅立つのだが、この船の中で決定的な出会いをする・・・一人の難病に取りつかれていた少女ジサヴェトと出会うのだ。
これが運命の大きな転機となる・・・・

中盤から、ジサヴェトの幽霊に翻弄される主人公がいる。そして一人になってしまったジサヴェトも(ああ・・・なんで帰ってしまったんだ、従者は・・・・)
彼の行動を狂気とみられ、彼は異国の地で幽閉されてしまうのだった・・・
ジサヴェトの幽霊がいるとして(本人の精神疾患ではないとして・・・まあファンタジーだから幽霊なんだろう・・・)そうするとジサヴェトの幽霊とは何か?
ここからまた話が展開していく。
幽霊を見るという事自体禁忌と思っている一団がいるのだ。


オロンドリア帝国は実は二つに分裂していた。
書かれた言葉、つまり『文字』を信奉しそれこそが真実と主張する石の教団と、
口伝えによる教育、つまり『声』を大切にして文字に重きを置かない女神信仰の人たち、
との対立構造だ。
この中に投げ込まれたのが主人公の青年だ。
彼はまさしく死者の幻影を見て、幻聴を聞いている。


死者の声を聞くことを罪としている石の教団。
死者の魂を天使と呼び、文字ではなく〈声〉を信仰し、ジサヴェトは天使との交霊者であり、彼自身を聖人として認める女神信仰の人たち。
ここに巻き込まれていくのだ、否応もなく。
そして死者になった少女ジサヴェトが切望して最初からずっと青年が拒絶していることは、『自分についての本を書いて』ということなのだ・・・・

翻弄される主人公の姿が心に焼き付く。
2017.12.27 蝶のいた庭


評価 5

監禁の物語だ。
おぞましくどうしようもない悪夢の迷宮に紛れ込んだような話なのに、読むのを文字通りやめられなくなるのはなぜだろう。
この閉ざされた世界がもし現実にあれば吐き気のするような世界なのに、文章で読むとちらっと(とんでもない悪夢だがひょっとして倒錯的な美しさがある?)と思えてしまうのはなぜだろう。
一種幻想的であり、この幻想的部分を全く感じずに現実であったら・・・ばかり考えたら、ただの薄気味悪い後味悪い話、で終わるだろう。
一人の少女の口から、閉ざされた『ガーデン』が描かれ広がっている。

滝があり小川があり外界から全く遮断されている場所、ガーデン。
そこに10人以上の美し少女たちが集められ身ぎれいにされ、『庭師』の思うがままにされていた。
彼女達はどこからか時期をずらして連れてこられ、ある一定の年齢になると剥製にされる。
背中に蝶の羽の刺青の刻印を刻まれそこで過ごす少女達の前途は・・・


しかしこれを語るのは、彼女が犯人側か全くの被害者側かわからない、年齢不詳でしかも本当の名前すらわからない少女マヤの供述からだ。
全体は、取調室だ。事情聴取を行なっているのは 、FBI特別捜査官のハノヴェリアンとエディソンだ。
ある事件で十数人の若い女性が救出 され、保護されるが、誰も口を閉ざしていて語らないので、この中のリーダー格の若い女性に様子を語らせているのだ。
彼女はいったい何者なのだろう?
彼女は真実を語っているのだろうか?
彼女のどこに真実があるのだろうか?
この取調室と、彼女の供述が交互に描かれていく。
物語のこの『よく素性のわからない少女が語っていく』作り方がとても巧みであり、こちらをぐいぐい惹きつける。
マヤの語りに翻弄されるのは、聞き手の刑事達だけではなく、読者の我々もだ。

<以下内容に触れます>

次々とわかってくるガーデンの様子がある。
取調室にいるマヤが語るたびに、悲惨な少女たちの状況が広がってくる。
しかし肝心な場面になると、マヤのはぐらかしが始まって、茫漠として全体像がなかなかつかめないもどかしさがある。
監禁された少女達は互いに助け合っていくのだが、中には精神を病む者もある。
どうしても元の世界に戻りたい者もいる。
21歳になると自動的に殺されるという事もわかってくる、そこまでの命を何とか繋いでいる少女達の姿があり、連れてこられて混乱している少女を元からいる少女が納得させようと言葉をかける場面もある。
少女によって家の状況が違うので、帰りたい家がある恵まれた少女とそうではない少女に分かれるところもまた興味深い。

監禁、性暴力、部屋の中の盗聴器、完全に隔離されているガーデンという場所。
完全に『庭師』に把握され肉体のみならず精神の自由すら奪われている少女達がいる。
庭師の作ったこの世界に少女たちはピンナップされた蝶のようにとめられてしまっている。

この話、中盤になってやや動いてくる。
なぜなら、庭師には息子が二人いて、兄は父親の庭師同様(それ以上?)不遜でありやりたい放題である酷い人間なのだが、弟デズモンドはガーデンそのものの仕組がよくわかっていない、が、ある日全ての真実を否が応でも知ることになるのだ。
大学生の彼は、父親を信じたい気持ちとこれを通報したら自分たち家族が滅びるという気持ちと、少女たちの悲惨な様子を実際に見ている現実とで揺れている。
しかし彼もまたマヤと関係を持ってしまうところから、彼自身のモラルというのがなくなってしまったのかと思っていた。
が・・・

・・・・・・・・・・・・

この話、どうしてもジョン・ファウルズのコレクターを思う。
監禁、ということもそうだが、コレクターでは監禁する側の人間が元々『蝶』の収集家でもあったところから蝶繋がりもある。
が、大きく違うと思ったのは、(集めたのが一人と複数とか、地下室ではないとか、性的暴力が行われないとかの外部的なことは別にして)蝶のいた庭では、全く相手の少女たちの心情とか心の動きとかを庭師は考えていないのだ。
愛されたいとも思っていないし、自分が愛しているとも思っていない。
ただただ純粋に(という言葉は語弊があるが)自分の欲望のために収集して加工した美しい少女達、なのだ。
それに対して、コレクターの男は、相手が自分を愛してくれるかもしれない、自分のことを気にかけてくれるかもしれないという精神的な欲望を持っている。
どちらも歪んでいるが、蝶のいた庭の方がドライな男なのだ、ウェットなコレクターの主人公とは違って。
しかも庭師はあろうことか日常生活も普通に送っていて妻も子供二人もいることが徐々に判明してくる。
何の躊躇いもなく、陶器のように精神がつるっとしている庭師がいて、なぜいけないのか?とそこすらわからない男なのだ、おそらくは。

・・・・・
彼女たちが一致団結して立ち上がったのは、ほんの幼い少女を頭の狂った長男がさらってきた、という事実だ。
まだ子供ともいうべき少女になんとか蝶の羽のタトゥーを入れさせまいと皆思う。
なんとかこの少女にこれ以上の凌辱を与えまいと思う。
そこから脱出が企てられるのだが・・・

・・・・
ここでは名前という事も大きなこととして浮かび上がっている。
マヤは、イナーラであった。
けれどこれすら本名ではない、偽名である。
庭師がつける名前と偽名、この二つをマヤは同時に持つ。
そして、マヤがガーデンの生活を語っている中には、彼女自身の離婚した両親、そこからとんでもない祖母に引き取られ・・・というようにほぼネグレクトされていた彼女の生い立ちもまた浮かび上がってくる。
このあたりが非常に重層的な部分だと思った。

ラスト、あることがわかる。
けれど、このあることは、ここまでに行きつくまでのあまりの大きなガーデンの話に圧倒され、なんだか小さく見えたのだった。


評価 5

これって、きっと評価分かれる作品の代表格、のような気がする。
私は途中で(ああ・・・こういう感じの展開になるんだなあ・・・)と思ったところからが期待を裏切ってくれて非常に面白かった。
真剣な切羽詰まった場面なのに、自分が笑っているのに気づいた。
だって・・・あまりにあまりの展開。
一種のバカミス&バカSFのところもあるのだが、そこが愛すべきバカなのだ。
そして、ラストが思いやられた、ここまで面白いけれど、どうやって大団円を迎えるのだろう?
そしてこの美しいラスト!!!こういう手があったのか!!!
とそこにも驚いた。
驚きに満ちた小説だった。

話はこういう感じで始まる。
二流大学で不本意ながら教えるジェイソン。
彼は物理学会で大いに期待されながらも、家庭を大事にすることによって自分の仕事をセーブして、いわば仕事の名誉を捨て穏やかな家庭を選択したのだった。
彼の愛妻ダニエラと愛する息子と平凡だが幸せな生活を送っている。
ところが、ある晩謎の覆面の男に誘拐されることに始まり、暴行され気絶する。
目覚めるとそこは・・・


前半は比較的ありがちな設定だ。
暴行される→気絶する→わけのわからない病院のような場所で目覚める→周りの人は全員自分を知っているようだ→しかし自分には全く覚えがない

ここで普通の人がどうするか、というと、自宅に帰ろうとするだろう。
誰しもそういう行動を起こすだろう。
ジェイスンも勿論そうして自宅に帰ったのだが、自宅そのものが変化している。
しかも愛する妻も息子もいない、一体どうなっているのだ。

こういう場合この本にもあるけれど、いくつかのパターンが考えられる。
一番考えられるのは、周りが壮大な嘘をついていて、自分が知らない間に何かのたくらみで周りを変化させ(または変化したように見せかけた自宅にごく似た場所を作り出す)、妻子もこれに加担するという、何らかの意図を持ったパターンだ。国家ぐるみの犯罪なのか。誰かの非常に手の込んだいたずらなのか(でも何のために?)
そして改変された自宅には、ジェイスンが有名な人気科学者になったことの証明の証書まである。
これは一体何なのだ?

ジェイスンが暴行を受けている、また注射を打たれているというところから、脳に損傷を受けもしかして、幸せな家族がいた記憶と科学者であった事実とのどちらかがジェイスンの間違った記憶、ということも考えられる。

(また読み手側からは、この段階で、→もしかして並行世界に移動した、多元宇宙の話?←という疑いもまた沸いてくる。
そうすると、一体なぜ、という疑問がまた沸いてくるし、能面をかぶってジェイスンを暴行した彼は誰でどういう意図を持っていたのかという疑問も新たに出てくる。)

ともかくもここからのジェイスンの真相を確かめるべく奮闘する姿が読んでいてがんばれ!と応援したくなる。
なんせ一人なのだ、頑張っているのが。
誰かこの事態に気づいて一緒に頑張ってくれればいいものを、誰も加勢してくれないし、ジェイスン一人があちこちに出向いておかしい!いったいこれは何の世界だ!!と驚くところから始まっている。
そしてようやく画家で大成した(しかしジェイスンと結婚はしていないし子供もいない)妻のダニエラを見つけ出し彼女に自分に起こったことの全貌を話し安らぎの地を得る、と思った間もなく、衝撃的な事件が起こる。
いったいこれは何なのだ???

・・・・・・・・・・・・
後半、全てがわかった時に、この家族のとる行動が印象的だ。
何にもまして愛を取るという行動を一貫して取るといういわばロマンティックな展開なのだが、そこがおおいに心打たれたのだった。

以下ネタバレ

・多元宇宙で何人もジェイスンが色々な違った世界にいる。
そこに行く装置で行き来した、「賞ももらい成功したバージョンのジェイスンが、科学者としては二流だが平凡な暮らしをしているジェイスンのところにやってきて、彼を自分の世界に送り込み自分はまんまとダニエラと息子を手に入れた」というのが真相。
もしあの時にああだったら、を具現化していて、最初の方にも妻のダニエラが妊娠により絵を断念したとあるし、その場合のもし子供をあきらめていたらダニエラとジェイスンが別れてダニエラは絵で成功していて、ジェイスンは科学で成功していたというパターンができる。
前半でジェイスンが最初に出会ってそして殺されたダニエラが、まさにこの成功したダニエラであった。

最初にジェイスンを覆面で脅し半殺しにして別の世界に送り込んだ犯人が別の世界のジェイスンであることは割合簡単に想像がつきく。
このあたりまでは「自分の思っていた家がなかった、人がいなかった」という衝撃をもってしても、普通の読み心地だと思う。
が、ここから俄然面白くなる。
特に本物のジェイスンが本物の元の世界を見つけ出し、そこでダニエラと息子をつかみ取り、そのあとのラストに至るところが面白い。

・途中、メッセージで何人ものジェイスンが出てきたのに笑った笑った。
いったい何人いるんだ、ジェイスン!

・最後の場面で何十人もの満たされないジェイスンがいる。
けれど本当のジェイスン(いや皆も自分が本当のジェイスンとは思っているが)が本当のダニエラと息子を連れ、装置に入るのを見守るシーンが圧巻だ、
そしてそこから通路を経て、扉を開け元の世界に戻るのではなく、全く別の世界に行くというのが読ませる、しかも息子チャーリーの夢見た美しい世界へと。
2017.11.05 月明かりの男


評価 4.6

今の目で見るとあちこちで、それはないだろう!と突っ込みたくなるところがあった。
古き良き時代のミステリだからだろうか。
そこはそことして。
相変わらず、掴みはオッケーであって、最初から
『警視正が飛んできた紙を拾うとそこに奇妙な殺人計画が書いてある』
というキャンパス内の出来事が描かれ
それとともに、一人の亡命科学者と知り合いになる、そして彼の実験室こそがその殺人計画の場所であった・・・更にここで彼は重要な発言をしている、自分が死んだらそれは自殺ではなく他殺である、と。
といういわば、後半に至ると全てを暗示している話が描かれている。

しかも紙に書いてあった指定の午後8時にとりあえず警視がその場所に行くと
拳銃の音がして、それはマッドサイエンティストというべき男が
自分の子どもを実験台にして、爆音を立てて実験をしている最中だった・・・

ここまでで心をがしっと掴まれる。
更に、この後、拳銃盗難事件が起こり、学生が暗い中タイプライターを打っていたり、冒頭の亡命科学者の死体が見つかるに至って、目撃者の証言が集め始められる。ところが、三者三様過ぎて話にならない、全員が走り去っていく犯罪者らしき人の姿を月明かりの中で見ているのだが、全員が違うのだ、容姿も違うし、性別すら違う。一体誰が嘘を言っていて誰が真実を述べているのか。また嘘を言っている人はなんのために嘘を言っているのか。また殺された亡命科学者は自殺なのか、他殺なのか。

ここに精神科医ウィリングが登場し、この矛盾に満ち満ちている事件を解決しようと乗り出してくる。

・・・・・・・・・・・・・・
中盤以降、嘘発見器、言語連想検査、が出てくるに至って、ちょっと失速の感がある(ここが現在の目で見るとわくわく感が少ない、嘘発見器や言語連想検査がありふれているということで、目新しさがないし価値が下がっている。)
(また亡命科学者がダッハウの強制収容所から逃亡してきたユダヤ系の男性という設定なのだが、この作品が発表されたのが1940年)
亡命科学者がかつてウィーンで迫害された時に、ナチスの若者に実験室に踏み込まれて研究装置を壮絶に破壊され自分は収容所に入れられたという描写もまたある。
更にこの亡命科学者の秘書をしているギゼラという美しい女性は、ウィーンからの亡命の時に、自分の心が揺れ動いた話をしている。
このあたり、直接ミステリの謎ときには関係ないのだが、非常にこの時代の風俗等を実感として読ませるところでもあった。

以下ネタバレ
・犯人はソルト博士。
自分の妻をも殺した、愛すると見せかけて。

・しかしとても重要な証拠が、タイプライターの違いとは・・・(フランスとアメリカは違うらしい)
腑に落ちるような落ちないような。

・途中で謎の幽霊が出てくる(lこのあたりの描写もまた面白いには違いないのだが)
面白いのだが、実は真相が夢遊病、夢遊病って・・・ここなども時代を感じさせる。
これを出したら、何でもありになるのではないか。

・嘘発見器を拒むか拒まないか、でその人の心理状況を想像するというのもなんだか乱暴・・・
嘘発見器を信用している、という前提がなければこの話が成り立たない。
そして今の目、で見ると、嘘発見器がさほど絶対性のあるものではないと思っているので。

・この話の中で一番の感動は、
ギゼラが登場した話であること!
別作品で出てくるので、最初のウィリング博士とのこういう出会いだったのか!!
一方で彼女とキスを唐突にするというのをこれではじめて見たら、職権乱用?まだ彼女も犯人かもしれない?とか色々思う、そして他作品を読んでしまった読者側としては、他の作品を読んでしまっているので、ギゼラが犯人から当然抜けてくる、という残念さがある。
2017.10.05 デンジャラス


評価 5

谷崎潤一郎の話、というのでちょっとだけ敬遠、敷居が高い、ように思っていたが、一旦読み始めたらあまりの面白さに止まらなくなった。
谷崎作品で、誰がどのモデルになっているか、どういう人生を谷崎が過ごしてきたか。
何度かの結婚、複数の姉妹への憧憬、佐藤春夫への細君譲渡事件、膨大な書簡・・・・そういうことの知識が私の中に『ぼんやりとは』入っていた。
けれど、この作品、細雪の雪子のモデル、つまり谷崎夫人の松子の妹の重子の視点、という実に魅力的な視点になっているのである。
だからとても読みやすいし、頭に入りやすい。
冒頭の方でちょっとだけごちゃっとする家の様子があるけれど、メモを取らずとも家系図が例えなくても人物表がなくても、中盤以降は誰が誰かどういう関係かというのはさくさくと頭に入ってきた。
重子の語りで始まって語られる文豪谷崎は、その行動の立派さもあるし、幼さもある、また矛盾した行動もあるし、食に相変わらず執着しているさまも描かれている。
ここに描かれている谷崎になんて惹きつけらるのだろう。
谷崎の輪の中に入っている人達、谷崎に否応なく巻き込まれている人達、それは男女を問わず、重子の亡くなった夫もそうだったし(彼が細雪でモデルになった場面に文句を言うところは理解できた)、重子もそうだし、松子の連れ子もそうだし、また重子の養子になった息子の嫁が谷崎となにやら秘密の書簡をやり取りしているさまも読みどころだ。

強烈な怪人のような谷崎、老いても尚朽ち果てることを拒んでいるような谷崎。
そこから生まれる作品の数々の凄まじさは強烈なのだ。

作家が虚を描きながら、実もそこにあるという、複雑なことをしている、というのも読み取れたのだった。
重子の『小説の毒は、兄さんだけでなく、周囲の人間をも侵してしまいます』という言葉が印象的だった。
谷崎が実際の人間の皮だけ借りてその中身を全く変えることができるんです、という言葉もまた心に刺さったのだった。

・・・・・・・・・・・・・
実際の谷崎作品の色々が取り上げられていて、どういう風に誰がモデルになっているか、というのもはっきり書かれている。
これは文献とか、今だったらウィキペディアで読めばわかること、ではあるのだが、この小説仕立てのデンジャラスという作品の中で、実際の重子が語ることによって鮮やかに浮かび上がってくる。
谷崎がそこで息をしているような気持ちにすらなってくる。

自分が細雪の雪子のモデルと自負する重子。
そして対になるように谷崎を必死に支え自分こそが理解していると思う姉の松子。
松子には連れ子の娘息子を谷崎に見てもらっているという恩義もまたあったのだ。
また、子供のいなかった重子に松子の連れ子の長男が息子になる、そして嫁を貰う。
この嫁がまた強烈な嫁の千萬子なのだ。
彼女と谷崎が深まっていくその手紙を最終的に誰でも読めるように放置する谷崎の所業もある。
また瘋癲老人日記が出来上がっていくさまもまた読ませる。

なんとか千萬子への執心から離させたいと思っている重子の姿がある。
そしてそれは、自己確認でもあったと思うのだ、彼女はいつまでも日陰の女だったのか。
姉松子の妹としてしか存在しない女だったのか。
最後の最後で重子はそれを確認しようとしてある答えを谷崎から引き出すのだった、ここは老女と老人との戦いのような場面だ。
そしてもっと怖いのはそれを密かに聞いていた、姉松子の姿もまたあるのだ・・・

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関西弁がとてもこの物語の雰囲気を高めている。
再び谷崎潤一郎作品をこの目線で読んでみたいと思った。