2017.07.25 冬雷



評価 4.4

重苦しい話ではあるけれどとても丁寧に描かれている話、で、ある意味とてもよくできている話、でもあると思う。
冬雷の不気味さと、この話の感じもとてもあっている。
現代とは思えないがんじがらめになった風習とそして狭い地域に住む人たちの目・・・
・・・・
また冒頭はストーカーだったらしい愛美(まなみ)という女の子の遺書が見つかって彼女が自殺したというのはすぐにわかる。
愛美の立ち位置というのはこの物語の中でどういう感じなのだろう?
その興味で読み始めた・・・

・・・・

旧弊な町の伝統を担っている旧家と神社がある。
子どもがいない旧家の後継ぎとして孤児院から引き取られた主人公代助がいた。
同い年の神社の巫女を務める跡取り娘は真琴といい、幼いころから高校まで代助と真琴は切っても切れない友情以外の物もはぐくんできた、お互いに逃れられない運命の中で。


冒頭で夏目代助というので、あ!と思ったが、やはりこれは夏目漱石の作品を考慮に入れていたというのが途中でわかる、
代助が捨てられた時に横に置かれていたのが、夏目漱石のそれから、であった、そこから夏目代助という名前を付けられたのだった。
跡継ぎとして千田家に連れてこられ鷹匠としても鍛えられる代助。
町では特別扱いをされ、厳しい指導ながら溶け込んでいく代助の姿が雄々しい。
ところが、途中で千田夫妻にまさかの子供が生まれ、一気に代助の地位は下がっていく、なぜなら千田夫妻の本当の子供が全てを受け継ぐことになったから。
なんてひどいんだろう。
引き取っておきながらこれはないんじゃないか・・・
そしてまさかの義弟である幼子の失踪・・・代助が殺人の犯人と目される・・・・
ひどすぎる。
この町、警察はいるのか?
こんな警察がある世界ってどうなんだどうなんだ?と思った。

12年後に戻った代助は、義弟が思わぬ場所から発見されたのを知る、そして今度は、愛していた真琴が嫌疑を受けているとも。
(またしてもこの警察!!馬鹿????)と思った。
更に思いもかけない真相が・・・・
代助が愛美をもてあそんだというのは、愛美の赤裸々な日記からわかっていて、それを読んだ愛美の兄が東京で代助に暴行するまでに至ったわけだが、その日記には真実が描かれていたのか・・・
また祭りの最中になくなった真琴の実の母親が残したビデオテープはいったい何を示していたのか。どこにあるのか。

以下ネタバレ
・愛美は真琴の父と関係があった。
それをあたかも憧れていた代助とともにあったような日記を書いていた(愛美も馬鹿?)
しかも妊娠中絶をに介している。

・一方で真琴は最後に代助と契り、子供をもうけていた。
それが千田夫妻の子どもとして、今育てられている娘だった。

・愛美は自分は中絶したのに、真琴は生んだというので嫉妬していた。

・当時一人だった代助の義弟を殺したのは愛美。
そしてその隠ぺいを手伝ったのが真琴の父たち。



けれど、私にはこの重苦しい最後まで光がない感じが合わなかった・・・申し訳ない。
この因習に満ちた村からなんで出ない?というのを何度も何度も読んでいて思った。
代助が気の毒すぎるだろう・・・・
警察はバカ?というのも何度も思った、大正時代じゃないんだから、DNA鑑定とかさすがにあるだろう?
また、愛美の偏執狂的なところも怖かった。



評価 4.7

伊集院静の旅にまつわる話。
旅に出るとはそもそもどういうことなのか。
世界に出ていろいろなところを旅しているその旅行記ではなく、そこであったこと思索したことが淡々と語られている。
ある時には親しい者の死を思い出し、またある時には娼婦の佇まいからその街を知り、またある時にはギャンブルをすることで自分を持ち崩す寸前まで行く。
とはいえ、思わず居住まいを正されるような大人の言葉も多い。

人が旅をするということ。
それが孤をどうしても意識していくことに繋がるということ、だからこそ若い人に旅をすることを勧めるという意味が分かる。
また、ナポレオンの話、ゴッホの話、、ジョイスの話、と偉人や芸術家の話も折々に含まれていて、その考察もまた楽しめた。
私が一番読んで、おお!と思ったのはゲルニカの一本の木の話だった。
他の伊集院静の本でもこれに触れられていたので既に知ってはいたが、バスク地方の人たちの矜持とまたここを爆撃した意味というのがとても伝わってくるエピソードだった、ピカソのゲルニカの絵とともに。


評価 
4.9

読むのが本当に辛かった・・・泣けて泣けて仕方がなかった・・・
いわゆる実はこういう不思議な話があったんですよ、ということだけではなくて、あくまで、不思議な話がある前後の家族の形とその間の不思議な出来事と残された人たちの生きようとする力のような話だった。

311のあの震災で大切な家族を亡くした東北の方たち。
その方たちのその後、のことであり、当時のことであり、それらが生々しい証言で語られていく、普通のノンフィクションとは違うのがこれが「死者からのしるし」を語っていることだ。
だからここをフィクションととらえる人も当然いるだろう、科学では割り切れないことなのだから。
またなんだ夢なんだ・・・と思う人もまたいるだろう、夢と思ってしまえばそれまでだから。
たとえ夢でなくても、偶然なんだ・・・と思う人もまたいるだろう、偶然で片づければ終わってしまうことだから。
けれど。
この遺族にとってはこれは紛れもない事実であり、そこではノンフィクションであり、また丹念に聞いていった作者にとっても事実として語りを聞いていったノンフィクションであることには間違いがない。

この中で、もちろん人の死の重さはどれも変わらないものの、逆縁のすさまじさに茫然となった。
子供が先に死ぬということ。
かわいい盛りの子供を失うという無力感。
あの大川小学校の子供が二人登場しているのにも胸が詰まった。
また小さな子供も登場している、遺影を見ると本当に可愛らしい・・・
この子たちがどういう思いで大好きなお母さんの元を離れざるを得なかったか、という圧倒的な事実の前には、「しるし」の部分がフィクションであろうがノンフィクションであろうが変わりはない。
人は絶望からどうやって立ち直っていくのだろう、絶望の淵にいた人たちが、「しるし」を見ることによってどんなに救われているのだろう。
これがとても心に刺さった一冊だった。

津波による被害で亡くなった方たちは、あまりに理不尽な死であり、遺族にとっても怒りの持っていきようがない死である。
そして遺族は、夢の彼らのお告げ、部屋の中のプラレールがスイッチが入る姿、亡くなる前に来てくれた、床の音がした、というのを近くの人と同時に経験している、それをある時は泣きながらある時は淡々と語ってくれるのだ。
常に死者が一緒にいてくれると思うことで生きていく糧にする気持ちは痛いほどわかった。
あの時ああしていたら、こうしていたら、と悔恨の尽きない中、夢の中で笑顔を見せてくれる亡くなった家族に会えてどんなにか嬉しかっただろう。

「死者からのしるし」は恩寵なのだ、残された人への。
2017.03.14 地中の記憶


評価 4.8

過去と現在が交互に語られるミステリだ。
そして時を隔てての町の記憶の物語でもある。
最初が非常に難しい、とっかかりとしては。
なぜなら、どれがどう問題なのか、よくわからないからだ。
アニーという屈折した少女が死んだ人間を発見するけれど、これはそもそも殺人事件なのか。
アニーを魔女のように思っている周辺の人たちはいったい何なのか。
アニーの家族とはいったい何なのか。
このあたりがぼんやりしているので概観がわからない。
また過去の章に入ってくると、この現在の章と同じ人が(当時も今も生きている人)出てきて更に混乱していった。
が。
ある時点で、こういうことだったんだ!!とするするとベールがほどけていく。
ここがとても面白いと思った。
ジュナのキャラクターが忘れ難い、魔女のような扱いをされているのだが、性に奔放であり生きることに貪欲な彼女が他人をなぎ倒していく生き方が心に残る。

・・・・・・・・・・・・・・
1952年の方では黒目の背の高い少女アニーが三人称で描かれている。
彼女がどういう立場にいるか、どういう感じの少女かというのが最初の方ですぐにわかるように語られていく。
もしかして彼女のことを気に入っているような行動をしている少年ライス・ファルカーソン(彼は保安官の息子、さらに言えば、ジュナの時代の女性保安官が祖母)がアニーの周りをうろついている。
ライスはどちらかといえば素直なのに、アニーは常に突っかかる。
このあたりの風習で、15の年に井戸をのぞき込みそこで顔を見た人と結婚する(!?)という行事も馬鹿にしている風情だ。
ところが、アニーはその実、夜に井戸に誰かの顔を見に行くのだった、好奇心に駆られて。
そこに妹のキャロラインもこっそりついていく。
ここで、思わぬ死体を見つけるのだが・・・
ここから過去への扉が開いていく。
屈折アニーと美しいキャロラインの対称が、そのまま過去のジュナとサラ(この場合姉だけれど)に繋がっていくところも興味深い。

一方で、1936年の方は、とりあえず「サラとジュナ」という姉妹の名前のタイトルが章のところについている。
でも語り手は「わたし」だ。
そのわたし、が誰なのかはすぐにはわからないものの、読んでいくと、ああ・・これはサラのことなのだな(姉)とわかってくる。
サラ、がそれでは、1952年の方ではいったい誰なのか、というのはまたこれがあとからわかってくるのだ。→サラはアニーの義理の母だった。ジュナは望まれている子供でもなく、最初からちょっと家族から距離を置かれている。
普通の少女だったサラは、予言者的な能力を持っているさらに気後れしているところもある。
ある種呪術的なジュナの存在が町全体に広がっていく。
ジュナは魔の存在であり、何かがあってジュナは数え歌になるほどの有名人だというのもわかってくる。

・・・
話がとても小出しに語られていくので、あるところで、(このことはアニーは知っているのか?)と思っていて、それが数ページ後で、(ああ・・知っていたんだ・・・)というのがわかったりする→自分がジュナ叔母さんと呼ばれている人の実の子供だということ。

ジュナが一体過去に何をしたのか、どういう事件があったのか、というのもまた徐々に語られていく、もどかしいほどに徐々に。
ジョゼフ・カール・ベインという人間が初めての公開絞首刑された時にかかわっていた人物がジュナらしいというのは比較的最初の方に出てくる、何しろ数え歌になっているくらいなのだから。
自分がその娘であるという自覚がアニーの中に確実にあるのだ。

過去の事件の中でのハイライトは、サラとジュナのひ弱な弟デイルがジュナと一緒にいた時に行方不明になってしまった事件だろう。
必死に探す家族がいる、町の人がいる。

ジュナ叔母さんがいつか来てくれるという期待。
毎年クリスマスカードをくれたジュナ叔母さんのやさしさ。
これが最後まで読んでいくと全く別のものに様相が変化していくのもまた読ませる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以下ネタバレ

・1936年のサラとジュナの中での「わたし」はサラ。
サラは1952年ではアニーの育ての母になっている。

・ジュナは、複数の男性と関係を持っていた。
そして、自分のおなかの中にいる子供は、絞首刑にされたジョセフ・カール・ベインの子供だと主張するのだった。
実際はその子は、地主のエイブラハムの子供。

・折り悪くデイルがいなくなった時に、遠くから帰宅したばかりのジョゼフ・カール・ベインが容疑者として連行され、彼からの自白をとった、と言われる。
その後、その自白の場からデイルは瀕死の状態で見つかり、けれど、そのあと回復に向かい、そしてそのあとジュナの看護の元再び悪くなり死亡してしまう。
加えてジュナのおなかのなかには子供がいる。
ジョゼフが全ての犯人だとされるのだった。

(デイルがいったんよくなってから悪くなったのは、ジュナの看護のせいなのだろうか?
デイルが記憶喪失の時はいいが、もし記憶が戻ったら自分とエイブラハムのことを知られてしまう。
ジュナは被害者を装っていたが、実は魔の存在そのものだった)

・生んだばかりの子供(アニー)をジュナはお父さんにどこかに連れて行ってと叫ぶ。
彼女は呪われているという言葉さえ吐く。
アニーをどうしても育ててあげたかったサラ。
それにかっとなったサラは、板でアニーを打ち殺してしまう。

季節ごとに届いたクリスマスカードはサラが作ったものだった。
サラは、アニーの母となったのだった(そののち、自分の子供キャロラインを生んだ)

・サラが昔好きだったエリスともジュナは関係を持っていた。
それにサラは衝撃を受ける。
そしてエリスを諦め、ジョン・ホールランと結婚するのだ。

・1936年のデイルがけがをしたのは、アビゲイルがたまたま強く彼を押してしまったことに起因するものだった。
デイルは、エイブラハムとジュナの密会を覗いていた。
そのあとアビゲイルが押してしまってデイルが大怪我をするのだが、そのことをジュナに話すと「これが父さんに知られたら、自分もエイブラハムも追い出されるのでやめてほしいと言われその通りにする。
ジュナのでっち上げでジョゼフは絞首刑になったのだ。


評価 4.5

一人の男子生徒Kが自殺した。
『菅原拓は悪魔だ』という遺書を残して。


自殺問題がこれだけクローズアップされている今だからこそ、読んでいてひりひりする。
これが架空の物語ではなく、現実にもあり得る物語だからだ、事実いじめによる自殺者が出ているし。

この物語の核は、
『明るく誰からも好かれている明るい少年が、なぜ地味な男の子にいじめられ脅迫され追い込まれ自殺に至るまでになったのか?』
というところにあると思う。
Kはともかくも人気者なのだ。
それに対して、名指しされたいじめた側とされている菅原拓の地味なことと言ったらどうだろう。
しかもいじめの現場をだれも見ていない。
悪魔とまで呼ばれた菅原拓。

誰が探偵役になるかというと、自殺したK(岸谷昌也)の姉なのだ。
ネットがとても重要なアイテムにもなってくるのが現代の学校らしい。
ただ、この世界、現実世界と違う異空間というのは、「人間力テスト」というのがある世界だということなのだ。
生徒が生徒を格付けしあう社会・・・おのずと生徒間の中に新たなる格差ができてくる。
誰からも認めてもらっていないに等しい菅原拓が本当に人気者のKをいじめていたのだろうか。
拓の革命とはいったい何なのだろうか。
モンスターペアレントはこの物語の中でどういう役割を果たしていたのだろうか。

・・・・
割合初期の頃にこの話の先行きは見えてくる。
けれどそこまでの描き方が私はよく描けていると思った、途中何度か、この言葉遣いは・・・と思ったものの!
文章は難あり(失礼)だけれど、ストーリー的に面白いなあと思ったのだった。
(革命、が何だったのかというのが最後にわかる。
最後の独白部分が受け入れられる人とそうでない人とに分かれる気がする)
2017.01.21 とりつくしま


評価 4.7

前に単行本で読んだけれど、再読してみた。
この本を読むと、必ずや、「私は誰の何にとりつくか」というのを考えるだろう。

死んでしまった後にものになって大切な人の近くにいられるとしたら?

誰に、じゃなくて、物にとりつく、というのがここでとても重要なことだ。
誰にだったら、その人を支配する。
けれど、物だから人をただ見ているだけに過ぎない。
この中で冒頭の話が一番泣ける話だ、死んでいった母が子供の野球のロージンバッグになって息子の試合を見届ける・・・・最後ほろっとした。
マッサージも、最初誰も家族がお父さんの不在を思っていないのかな・・・と思っていると、いつの間にか皆が苦い悲しい思いをもっているんだ、口には出さないけれど、ということがわかってくる。お父さんはマッサージチェアにいるということで。


評価 4.9

ロシアのジュール・ヴェルヌと言われる著者のSF作品だ。
長年手元に置きたかった本が文庫で復活という喜び・・・だったはずが、中盤まで動きがない(ほぼ研究室)ので、やや途中で失速したといっていいだろうか。
そして途中から外に出る場面から動きが激しくなりこのあたりから面白くなる、かなりかなり目をそむけたくなるような話であるには違いないが・・・。
再読してもその感想は変わらなかった。

パリのケルン教授にやとわれたマリイという若い女性。
母一人子一人のマリイはそこで教授の手伝いをしようと張り切るのだが・・・
そこで見たものの秘密を話さないようにと厳命される。
そしてそこで見たものは
人間の生きている首だった・・・・


タイトルがドウエル教授の首、なので、彼の首があることは予想していたけれど、まさかほかにも二つも首があるとは!
そこにまず驚いた。
そして最初からしゃべるわけではなく、どちらかというとしゃべってはいけない細工をされていて、マリイが機転を利かせてパイプを開かなければしゃべることすらできないという悲惨さだったとは!
でもマリイはそのことをしたがために、ケルン教授の悪行を知ることになる。
マリイは善意の人なのでなんとかなんとかこれを改善したくなる。

しかも残り二つは純朴な若者と年を食ってはいるが美人の女性の首だった。
女性は特に体をもとに戻してほしいという願望が強く、どうにかならないかと騒ぎ続けている。
途中まで全くこの研究室というか実験室から外に出ない。
出るのはマリイのお母さんとの家の場面ぐらいで・・だから場面転換がなくてやや息が詰まる。

ところが、途中から女性の首から下に別の死体の体がつく、という画期的な出来事が起こり・・・というところからいきなり外になっていく。しかも娯楽の場・・・
このあたりから読ませる。
とてもとてもグロテスクだが。

後半ドウエル教授の息子たちも加わって、活劇のようになってくる。
いかんせん、首が動かせない、動けないのでそこは仕方ないが・・・
ケルン教授のしたことは首を仕立て上げるということのみならず、、ドウエル教授の手柄を横取りする、という基本的なこともあったのだった・・・

・・・
なんといっても首。
首が話すという奇妙さ、そして首のみ生き残っている不思議さ、に加えて、後半女性の首から下にくっつけた足が壊疽で腐ってくるという理不尽なグロテスクさ。
なんだか酸鼻を極めているけれど、でも読ませる。

途中、歌手だった女性の声で、自分が元好きだった女性の体をこの人が持っているということに男性が気付く場面がある。
いったい何が好きなのか。
体なのか顔なのかそれとも声なのか、魂なのか。
このあたりの問いかけも哲学的で興味深い。

・・・・
そして最後の解説でまた驚いた。
実際にこのような実験があったのか???と(犬の話)
1968年当時の解説で、10年前と言っているので1958年のことなのか・・・


評価 4.9

江戸川乱歩の作品をモチーフとした作品群だ。
どれもとてもよくアレンジされていたと思った、いかにも現代風に。
現代であるからITが使われている。
たとえば、押し絵と旅する男は、あるものが使われている。
それで、情緒とか原作の不気味さは消えるのだけれど、それでも今度はITの持っている怖さというものが増長していくような気がした。
・原作「人間椅子」「押絵と旅する男」「D坂の殺人事件」「お勢登場」「赤い部屋」「陰獣」「人でなしの恋」「二銭銅貨」
・今回の作品 椅子?人間!・スマホと旅する男・Dの殺人事件、まことに恐ろしきは・「お勢登場」を読んだ男・赤い部屋はいかにリフォームされたか?・陰獣幻戯・人でなしの恋からはじまる物語

この中で一番最後に驚いたのが、陰獣幻戯のラストだ。
途中で、何度も執拗に書かれている一文が(なんでこんなに何度も書かれているのだろうと思ったくらいに)伏線になっているのだ、とわかったのだった。→ストーカーのように追い続けていた女性と思っていた人は実は男性だった。何度も執拗に書かれていることは「女という性が好きで好きでたまらないのだ」というところ。男には全く興味がないというところに妙がある。

椅子?人間!は人間椅子とあとやや屋根裏の散歩者をモチーフとしているけれど、これって現代の話になると確かにストーカーの話っぽくなる。というか、乱歩の話、現代になるとストーカーとか倒錯者とか名前が付けられるものが多いような気がする。
それで、これは昔の男が突然メールで脅迫し始める話だ。
これって、途中で割合結末が読めてしまう感じの話だと思う、私ですら読めた。
しかしこの原作以上の(原作は陰惨ではないから)陰惨なことといったら・・・→ソファにいるというのを真に受けて、包丁で錯乱して殺してしまうがそこにいたのは捕らわれていた夫だった

スマホと旅する男はちょっと怖い。怖いが、乱歩の怖さとはまた違った怖さだ、なぜなら機械(スマホ)が入っているので、ぞくっとしたなんだかわからないぞ、という怖さはなくなっているのだ。でも一方でこの乗り物の不確かさもあるし老婆の不思議さもある。結局わからないのだ仕組みが。でもそれが機械になっているので、怖さ軽減という不思議さがあった。
そしてラスト、これって意外な展開だった・・・→ホログラムを作る人がいるって・・・。女性を殺してAIにしてスマホに取り込んだという告白がある。

Dの殺人事件、まことに恐ろしきは、は、とてもよくできたミステリだと思った。
賢いが生意気な少年・聖也の造型がよくできていて、しかも薬屋の女性が殺されたという事件を偶然目撃してその犯人を割り出しているのに・・・
途中の展開もわくわくするし、出入りの人がいないのにどうやって殺されたんだろう、という謎が残っている。
徐々に推理を展開しこれは違うこれは違うとつぶしていくのだが・・・
ラストへの崩壊感がたまらない→聖也が犯人だが、ラブホ街であるために、一緒に調べている本人は聖也に脅迫される、逆に。

「お勢登場」を読んだ男
これは悪女物(原作が)なので、これまたラストが読めた。
ここにもスマホを使っていかにも現代のITを駆使というところか。
助けを求めた妻は夫を殺害しようとしてあらゆる手段を講じて、スマホを使えなくする、衣装ケースに誤って閉じ込められた夫からの助けを無視する形だ。閉じ込めるのが長持ちの代わりに衣装ケースか・・・

赤い部屋はいかにリフォームされたか?は、原作が大好きなだけに、どうアレンジするのかなあと思ったが、とても面白かったと思う。
劇を見ているという設定にしてそこで殺人事件が起こる、どこまでが演出なのかどこまでが本当のことなのか観客もよくわからない、この状況って今でもサプライズという形であるのだろうし実際やっているところもあるのだろうなあと想像できる。
そしてラストの不確かさ・・・→最後の殺人事件が本当かどうかわからない・・・そこまでが実は!という嘘だっただけに誰もが疑っている。

人でなしの恋からはじまる物語 は、暗号ものだけれど、最後ほっこりとする。なぜなら心が通っていない夫婦がかわっていく話だから。
2016.11.24 罪の声


評価 4.9

ともかくも圧倒されたのだった。
グリコ森永事件をそのままトレースし、ノンフィクションとフィクションのはざまで綱渡りをしているような小説だ。
キツネ目の男、どくいりきけんたべたらしぬでの脅迫文、社長の誘拐、食品会社6社への脅迫、となんとも印象深い昭和の事件だった。

これは小説仕立てになっている。
真相がわかった時に、ぐっときたのだった、この場合の真相とは、事件の背景とかそういうことではなく、『テープに声を吹き込んだ子供たちのその後』という意味だ。
犯罪に子供が使われている。
そこに目を向けた小説でもあった。
一人は最初から出ていて、ひょんなことから自分がまったく覚えていなかったのだが、家にあるテープの一つにどう考えても小さい頃の自分の声が吹きこまれているのを発見する。それが昭和の大事件とリンクしているというのに気づくまでには時間はそうはかからなかった。
これが京都でテーラーを営む曽根俊也だ。
彼側の視点と、もう一つは取材ということでこの事件を追っていく新聞記者の阿久津の視点で物語は進んでいく。

大企業を卑劣なそして単純な方法で脅迫したという事件、しかも社長が誘拐されたという事実、更には警察の失態が途中であったという事実が厳然としてある。
更に付け加えたいのは、子供向けのお菓子に毒を入れたという特殊性、があり、上記したように子供の声を使った脅迫テープというように、常にこの事件は子供が絡んでいる。

ただ・・・・
圧倒はされ、感動もしたのだが、実際の事件だけに、もどかしさは残った。
全てを仮名にしなければ小説にはなりえないので仕方ないのだが、あちこちで、これはこれね、と頭で変換して読むもどかしさがあった。
私は、ノンフィクションが読みたかったのだろうか?
それともこれをノンフィクションとして、読みたかったのだろうか?

以下ネタバレ

・株操作・・・

・泣けたのは、この脅迫テープを全く忘れていた(幼かったので)側は普通の生活ができている。
一方で対照的にもう片方側の姉弟は、父親の問題もあり、テープが一生を変えている。
この通訳の夢を持っていた姉の姿に涙が出た。同時に最終局面で弟と施設にいる母親の再会にも。


評価 5 (飛びぬけ)

とても私に合った作品で最初から最後までおおいに楽しんだのだった。
そして予備知識から私が思った作品と違っていた、地球の最後の日々に物好きにも殺人事件を追う刑事の話、と思っていたのだった。
確かにそうなのだが。

この世界がどんなにこれからの絶望に怯えているか、が人によって違うというのをまざまざと思い知らされた。
それは、個人が病気のために余命いくばくと言われるのとは全く違った状況であり、「全員が必ず死ぬ、死なないまでも地球そのものの状況が一変するだろう、半年後の小惑星の地球への衝突のために」という前提があるからだ。
非情な前提があるからこそ、このミステリは成り立っているのだ。
事件を追う刑事のみ、ではなく周りの人々の行動も克明に記されている。ここがとても面白い。
マクドナルドは倒産し、セブンイレブンもダンキンドーナツも何もなくなっている、あるのは海賊店のみだ。
このあたりがリアルな名前が出てきて
未来に絶望して自殺する人々、狂信的になる人々、快楽にふける人々、地球の中でも自分とは別の場所に落ちてくれることを祈る人々、すべての仕事を放棄する人々、薬にふける人々・・・。
でもこの中に、医療従事者がまだ存在していて、ヘンリー・パレス(主人公刑事)のような愚直な刑事もまだ存在している。
社会の混乱を抑えようとする人々が確実に存在しているのだ。
ここにぐっときた。

小惑星が半年後に地球に衝突する。
この世界で、同僚たちに呆れられながらも、刑事のパレスはある自殺事件を殺人事件ではないかと疑う。
周囲はほぼ全員が絶望からの自殺、と受け止めている中だった。
そして、死んだ男性の身辺を洗っていくと、彼が火災生命保険会社で実に几帳面な性格であり、一面人嫌いであり、この小惑星の衝突について何もリアクションをしない、ある時に突然怒った行動をした、会社で同僚の女性が唯一ぐらいに話をした女性であった、というようなことが分かっていく・・・・


何しろ、パレスが半年後の地球消滅を知りながら職務を全うしようとする姿に胸打たれる。
過程で、病院にも行くのだがここでも機能しているところがあり、そこで働く人たちにも頭が下がるのだった。
一方で、街では略奪があり、捕まったら死ぬまで拘束されるというのも単純に決まっている。
全てが非常に単純化せざるを得ないのだ、この世界では。

パレスが死んだ地味な元保険会社社員の家の中を見て回る姿がとても印象深い。
パレスがしていることは、死んだ男の思考をトレースする、ということだった。
そして几帳面な彼の棚の並べ方を見て、好感を持ったりするところもとてもわかったのだった。
またパレスの私生活で、どうしようもない男とくっついてしまう妹ニコルの描写にも筆が冴える。
可愛い妹を何とか救ってあげたいのだができないもどかしさがパレスの中にあるのだ。
元の恋人との思い出にふけるパレス(夢が多い)も人間味あふれるし、実際に元恋人と会ったりもしている。
また現在でも元同僚の死にあって動揺したりしている、このあたりも人間臭い。

誰が犯人か、という謎もさることながら、世界が揺らいでいる中で必死に捜査をするパレスが格好いいのだ。
また生きていることとは何か、迫ってくる危機に自分はどのように対応するのだろうか、と読んでいるとおのずと考えてしまう。
誰のせいでもない小惑星の衝突、という事象をとてもうまく組み込んだ推理小説だと感じた。

文章も短文が連なっていて小気味よく非常に読みやすい。
三部作らしいのでこのあとの作品をぜひとも読んでみたい、と思った。