2018.06.24 水丸劇場



評価 4.8

安西水丸がお亡くなりになった時に緊急出版された本。
このプリミティブな絵が好きな人は(私も好き)たまらない本だろう。

追悼の話も出ていて、ちょっと偏屈で、ちょっと人付き合いが良いようで悪くて、女性にはもてていて、という彼の人となりがわかるようになっている。

・・・・
この本を読んでみて改めて絵も好きだけど水丸さんの文章も好きなんだなあ・・・と強く思ったことだった。
たとえば寝業師は近くにいる、は、ケチと言われるのが一番嫌い、という話から始まって、貸し借りの話、そして寝業師の話とどんどん繋がっていくところが読ませる、そしてわかる、ケチが嫌だという心情もまた。
子供なんかをパーティーに連れ来るな、は、今、ネットで書いたら一部の人からは怒られそうだ。でも言っていることはまともだ。これまたとてもわかる。

正常なことをすっぱりと語る水丸さんの語り口を愛していただけに、今更ながら勿体なくてならない。



評価 4.8

楽しい!

弱きものを守り金持ちから美術品を盗み、しかも美女に滅法優しいルパン。
その紳士っぷりは、最初に読んだ時に
(果たして日本にこういう人がいるだろうか?怪盗でなくても!)
と思ったものだった。
犯罪者なのに愛される存在のルパンがそこにはいた。

そのルパンを人気作家の方々小林泰三、近藤史恵、藤野恵美、真山仁、湊かなえがオマージュして書いた話なので、面白くないわけがない。
どれも面白かったのだが・・・

特に最初の小林泰三の話は、ルパン+ホームズなので両方のファンが楽しめるようになっている。
ホームズが好きな人はルパンも読んでいる気がするが・・・それはともあれ、ルパンが変装名人というのを巧く使っている逸品だ。
誰が誰やら混沌としてくるルパン物だ。

近藤史恵のルパンは彼女らしいストーリーで、ルパンが出てくるけれど根本は愛の物語だ。
お金は確かにある種の幸せを運んでくるが、幸せはお金だけじゃないというのを愛を絡めて語ってくれている。

藤野恵美のルパンは最後まで仕掛けがわからなかった。
ああ!こういうオチになってるのか。
最後1ページが響く。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『最後の角逐』小林泰三
『青い猫目石』近藤史恵
『ありし日の少年ルパン』藤野恵美
『ルパンの正義』真山仁
『仏蘭西紳士』湊かなえ
2018.05.19 目覚め
目覚め

評価 4.9

今の目から言えば、フェニミズム文学とジェンダー論を結びつくという事なのだろう。
まだ結婚という事しか生きる術がほぼなかった時代の話であり、因習の残っている時代であり、当時としては非難の的になるような小説、というのもわかる気がする(1899年に出版)

本の紹介によれば
『人妻の姦通と自殺を描き、出版当初酷評されながら、60年代フェミニズム運動の中で再評価されたショパンの問題作』
となっている。
すぐさまボヴァリー夫人とか人形の家とかを思ってしまう。

・・・・
ただ、この話、ストーリーもさることながら、描写が美しい。
非常に抒情的なところがあり繊細であり、海の場面で始まり海の場面で終わるという趣向もなかなか考えられている。
またファンタジーの要素もふんだんに入れられていて一種のおとぎ話を読むような場面もあるのだ。

不倫の話といったらちょっと汚くなるだろうと予想するのだが、それがずうっと美しいままで終わっている。
よくわからないままに結婚、子供ができる、夫頼みの経済で上流生活を楽しむ、自我がない、自分がよくわからない、と今の目から言えば、け!!!差別だ!!と言われそうなことばかりだ。
そしてこの人妻エドナが反逆するのも実に可愛らしい。
すぐに不倫をするわけではない。
そもそも恋の感情になれていないから、そこから始まるうぶなところがある。
自分がなんだかおかしい、変だわ、と思いはじめ、夫に従順な自分の友達の美しさを見ながら(でもこの人は本当に幸せなのか)と自問自答し、更に自分はどうなのか話しながら確かめていく、みたいな手探り状態なのだ。

周りの人はお医者さん、貞淑な妻(これがまた美しいが全く面白みのない女)が、いさめようとするのだ、夫から逃れようとする人妻エドナに。
それは世間的には真っ当な意見だが、エドナにとっては余計なお世話にしかならない。

そして結局一番大好きなロバートとは結局プラトニックっで終わり、女たらしで名高い男と密通してしまうという場面になだれ込む。
最初が印象的な海で始まりここでエドナは自分に目覚める、そしてラスト海に向かって生まれたままの姿で泳いでいく自死の場面が、くっきりと脳裏に焼き付くのだ。


評価 4.9

読んでいてとても楽しかった一冊。
いわゆる名作、と言われている本の解説なのだが、著者本人の感慨みたいのも混ぜながら語ってくれている。
それが独りよがりの思い出話だといささか辛いけれどそういうこともなく、ごくごく自然体で柚木さん本人の日常みたいのから、本をさらりと語ってくれるスタンスが心地良い。
どの本も2・3ページでコンパクトにまとめてくれているのでそこも読みやすい。
読んでいたらもちろん、読んでいなくても読みたい気持ちになれる、お勧め上手!と言いたくなるような本だった。

海外は、イギリス、フランス、アメリカ文学の有名どころを書いていて、日本文学は女流作家の本を取り上げている。
懐かしい作品がたくさん並んでいて、旧友に会ったような気すらしてきた。

この中で、ダロウェイ夫人の話がとても良かった、もう一度読み直したいとすら思った。
六月のロンドンの眩しさが冒頭に出てきて、視点が変わり時制も変わり思いも揺らいでいって、この小説難解っぽく見えるけれど、ここに書かれているようにクラリッサがとても魅力的な女性、なのだ。内省の話ももう一度読んでみたい。

アメリカ文学の近頃映画化されたキャロルについての考察もまた読ませる。
キャロルという憧れの存在からテレーズがどんどん開花している姿の話とかもまた再読したいと思わせる文章だった。

日本文学では尾崎翠、林芙美子、武田百合子、一度は読むべき女流作家がずらりと代表作とともに並んでいる。
ラインナップの中では犬養道子のお嬢さん放浪記がとてもとても懐かしかった。
この本の魅力を余すことなく伝えてくれている。

・・・・・・・・・・・・・・
海外文学で登場人物があきらかに「やりすぎる」ところが欧米の古典小説の好きなところだと宣言している柚木さんの気持ちがとてもわかった。
過剰ということなんだろう。
今の目から見ると、どう考えてもそれはいくらなんでも・・・と思うことが多い。
そこがまた大きな魅力でもあるのだけれども。
2018.03.21 迷蝶の島


評価 4.5

冒頭から太平洋のボートから落ちた女性と男性、の話が出てきて、この話により
『30歳前後の女性は助かった、けれどもう一人は残念ながら・・・』
ということがわかる。
一体何が起こったのか?
そして日付入りの男の手記で始まる・・・

大学2年生の山菅達夫が恵まれた環境の中で甘やかされて育った、どちらかというとやりたい放題の人間に育ってしまう。
兄からもらったヨットの走行中、ぶつけられた相手のヨットに二人の女性がいた。
その女性たちは百々子(ももこ)と桃季子(ときこ)



(最初の方で、モモコ、トキコとカタカナで書いているところに仕掛けを感じさせる)
そして二人の女性の名前から男性が勘違いをして、自分の本命の思い人には手紙を渡せず、もう一人に渡してしまう、というアクシデントから恋愛のもつれが始まる。
ここで、「間違ってました!」と帰ってくればそれはそれで終わった話だ。
トキコと関係を持ってしまう、間違っていても、というのがなんて適当な男なんだろう。
しかもそのあと、本命の彼女モモコとも関係してしまう、適当すぎる!!
間違った方の女性トキコは折り悪く妊娠、というパターンでどうにもこうにも逃れられない状況に陥った男・・・

このあと、話は意外な方向に行く。
なんと殺し合いになるのだ、桃季子と達夫の化かしあいがヨットの上で繰り広げられ、その挙句絶海の孤島に『達夫一人』が取り残されるのだった、桃季子は死んでいる・・・・と思われたが、何度も何度も彼の目の前に現れ彼の錯乱かそれとも実際の事なのか混沌としてくるのだ、読者もまた。

・・・・・
この話、官能的な部分もあり、男女の愛憎もある。
本当は結婚したい人がいるのに違う相手が妊娠して困惑、殺そうという発想も、古今東西の映画とかミステリにたくさんある。
そこをうまく象徴的な蝶とともに使っていると思った。
不思議な現象とか奇妙な出来事が、捜査官、当事者のそれぞれ、精神分析医と、人の視点が変わることによって別の見方で描かれているところもまた面白い。

ただ、最後の仕掛けが、おおっというよりも、そうなんだ・・・ぐらいの仕掛けであったのがちょっと残念であった。
泡坂妻夫、すごい作品がたくさん他にもあるからよけいにそう思ったのだった。
皆川博子解説。

以下ネタバレ

一本の線と、解説で皆川博子さんが書いているのは
日記にあった日付に1を加えたということだった。
2017.11.22


評価 5(飛び抜け)

ちょっと必要があって読み直してみた。
それで、この話、思い切り大人の話、だと思った、諦観が溢れ出ている話だから。
昔から三部作の中でも好きな話の方であったけれど、今読み返してみると、自分が猛烈に好きなんだ!というのがよくわかった。それは私が年をとったからだ、と思う。
希望に溢れている鼻息も荒い10代の頃は、どこかに強くは惹かれるけれど、でもこの真の味みたいのはわからなかった(と思う)。
そして全てを知って読んでいると、この小説、非常に巧みなミステリ仕立てにもなっているのだ。
一方で現代だったらあり得ないだろうなあ・・・という関係性が根幹になっているので、そこはややこの時代、を考えないと理解しがたいかもしれない。

(以下話の筋に完全に触れます)

・・・・
まず最初、縁側の場面から始まる、ここが実に実に印象深い。
近いという字の近がどういう字か、とのんびり妻に聞く夫がいて、それに物差しで近の字を書いて見せる妻がいて、夫婦のさりげない会話がある。
その字がへんてこに見えてこないか?と聞く夫がいて、妻がそんなことはない、と答えている。
今だったら、それはゲシュタルト崩壊ですよ!と何人もの人が突っ込むところだろうが、妻はさりげなくまさか、と答えている。
妻の言葉も会話に出てくるのだが、今読むとこれがわかりにくいけれど、当時の女学生言葉が使われている。
だから妻は女学生のような雰囲気の妻なんだなあ~ということもわかる。
あと、よくわからない佐伯さんというのが出てきてそこにどうやら夫が行かなくてはならいないらしい。
とりあえず郵便を出すか、とそこものんきに夫が出ていく。
そうこうしている内に夫が出ていってそこに弟らしき学生の小六(ころく)がやってきて何やら佐伯さんのところに行ってほしいとせっついているのだ。

・・・・
さて。
ここまで読んで、一体全体佐伯さんって誰?
小六はなんでこんなに兄をせっつくの?行ってほしいって何なの?
そもそも宗助とお米という夫婦はどういう夫婦なの?
ここまでで宗助夫婦に子供はいなそうだが、子供はいないの?

という盛り沢山の疑問がむくむくと湧いてくる。
それ以上に、この夫婦、活気がないといえば活気がない。しかも住んでいるところが崖下って・・・
夫婦二人では話しているものの、他に客も来なければ誰かの所に行くこともない。
しかも、今読んでみると、うっすらとだけれど、お米と小六という二人の関係がちょっとどちらがどちらとは言えないが、思わせぶりがある、というのが見えてくる。

・・・・
この夫婦の成り立ちというのが出てくるのって、かなり後だ。
そこまで崖上の宗助夫婦とは対照的な大家さん一家(子沢山で裕福で闊達な夫)とか、そこに入った泥棒の一件で大家さんと宗助が親しくなったとか、お米が活躍した古い屏風を買ってもらう算段とか(この部分好きで、目に浮かぶ)、それをまた大家さんが買った話とか、が繋がっていく。
比較的すぐにわかるのが、佐伯というのは叔父さんで、お父さんの遺産をいわば食い潰した男、で、本来なら宗助怒るの巻があってもよさそうだが、ここもまた諦観の人、なのだ、宗助は。
わけのわからない叔母さんの(叔父さんは死んでしまったので)言い訳を聞いている宗助を見ると、戦え!と思ったりする。
小六の気持ちがちょっとわかったりするが、でも小六も兄頼みでなくて戦えばいいじゃないかとも思ったりする。
途中で、元気のよい小六が宗助の若い頃と似ている、と記述されているけれど、小六も宗助も所詮いいところのボンボンなのだ。
だから人を激しく罵ったり戦ったりすることができないのかなあ・・・とここまででは思う。
また崖上の大家さん一家は、「もしかしたらあり得たかもしれない自分のもう一つの人生」と宗助が思うような人生だ。
お金に困らず働かなくても良いくらいにあり、奥さんもいて子供たちのにぎやかさに囲まれている。
話好きな大家さんと、口数の少ない宗助の対照がここでも際立っている。
ところどころで、子供がいないというのをお米が苦にしているらしい、ここではこの話はタブーらしいというのもわかってくる。
お米が具合が悪くなった経緯から、これがどういうことだったのか、というのはある程度分かってくる。
(子供の話の中で、お米が占い師に見てもらった話のエピソードもまた秀逸で、これも強烈に記憶に残る)

でもこの夫婦の諦観はこれだけじゃないのだ!

14章に入って怒涛の如く真実が明らかになってくる。
そしてこの14章からの畳みかけの文章が素晴らしいと思った。
ここまでも面白いには違いないのだが、疑問で頭がパンパンになっているところに、こうなんですよ、とお米と宗助の過去をつまびらかにしていくところが本当に読ませる。
お米と宗助は、元々友人の安井と暮らしていたお米がいて、安井の親友の宗助がいてという三人の友達だった。
でも最初にお米を見出して彼女を手中に収めたのは安井だった。
それを奪った宗助がいた。


この事件が起こるまでの宗助の学生時代が描かれているが、この闊達なことと言ったらどうだろう。
人と話すのが好きで、病気知らずで、どこにでも簡単に出かけて行って、気性はまっすぐで親にも愛されていて、しかもまだ父親が生きているので全くお金には不自由しない男だ。
きらきら光り輝いているような誰しも憧れるような男だ。

でも人の女を奪った、という一点でこの二人は日陰の暮らしを余儀なくされる。
(今だったら考えられない、三角関係の痴情のもつれは今でもあるとは思うけれど、人から指をさされ、学校までやめ、ましてや親から感動でお金ももらえなくなる、というのは現代ではほぼあり得ない。
更にもっと現代ではあり得ないと思ったのは、罪の意識というのを女を奪った安井に対して持つ、というところだ。
現代でも悪いとは思うだろう、けれどきっと年月の間にそれは忘れられて行って自分たちの生活に追われていくだろう。)
けれど、宗助夫婦は一生の負い目、として安井とのことを肝に銘じているのだ。
だから父から勘当同然になり、お金がストップされても、それを受け入れるしかない。

また大家さんのところに、偶然大家さんの弟の知り合いが来るというので誘われて、それが実は安井だったというのを知った時の宗助の狼狽っぷりも読みごたえがある。
決して決して妻にはこのことは語らない、最後まで語らないのだ、それは宗助の愛でもあり恐れでもあると思う。
そして妻にはそう言わず、山門をくぐり、禅寺で修行をしようとまでする宗助の動揺ぶりの描写も見事だ。
結果悟りは開かなかったのだが、彼の最後の場面は、また縁側での夫婦の会話で終わる。

・・・・
一生をかけて償っていく夫婦の姿、落としたものなくしたものはあまりに大きいのだが二人ともその大きさには触れない、決して。
安井の名も出さない、ある時を境として。
ひっそりと生きていく諦観に満ち満ちた二人の姿が心に刻み付けられる。

愛情って何だろう?という思いにもとらわれる。
愛していたのだからこそ結婚した夫婦がいて、でもそれは思っていたのとは違った静かすぎる生活であった・・・しかも生活が困難な時代すらあった、あれだけ良い暮らしをしていた宗助なのに。
夫婦の仲は良い、良いがさざなみは静かにこの夫婦の周りに起こっている、それはお米の急な病気だとか(この時の宗助のうろたえ方描写も好き)、自分の管理しきれなかった父の財産の事、そこから波及する弟の学費工面の問題、そして極めつけは、思ってもみなかったところに登場する安井本人の影・・・
一生この夫婦は静かに暮らしていけたんだろうか?
一瞬たりとも破綻のにおいはしなかったのだろうか?
もしかして崖上の大家さんの人生は自分の人生だったかもしれない、と宗助が思う時点で、後悔の多い人生というのを認識しているのだろうか?

私が今とても分かるなあと思ったのは、『宗助夫婦が静かに諦観をもって生きていること』の部分だ。
私が若い時に、この部分がわかるようなわからないような、何でもっと活気をもって生きないのか!と思ったものだった。
誰か友達を連れてくる。
誰かの家に行く。
皆で遊ぶ。
夫婦二人で思い切り羽目を外す。
この夫婦は全てこういう事を投げうって、隠者のような生活をしている、しかも昔とはいえ東京の暮らしの中での隠者だ。
この部分が、年齢を経て読むと、こういう生き方もあるなあ・・・と思えてくる部分なのだった。
ひっそりと生きる。
その小さなさざなみの起こる生活の中で自分を見つめていく。
宗助夫婦は自分達の引き起こしたことに罪の意識を思い切り感じてそこからこういう生活に入っていっているわけだが、それでも二人の生活は綿々と続いている。
この生活もまたあり、なんじゃないか。
今の私はそう思えてきて仕方がないのだ。

同時に、この生活、彼らが50代、いや40代ならまだしもわかるのだが・・・ということもまた思ったのだった。
隠者は何歳でも隠者になりえるわけなのだ。


評価 5

この小説、単行本の時に話題になったのだろうか?
私は見過ごしていた、きっとなったのだろうが・・・(調べてないのでわからないが)

とても面白い。
読んでいてわくわくするし、文章も好みだし、タイトルにもなっている戯曲マクベスの使い方も絶妙だ。
物語全体を見てみると、多少、作り物めいたところ(偶然が過ぎるところ、多少古めかしい感じが否めない描写、あり得ないだろう、という現実の展開、突っ込みどころ満載の女性への気持ちetc)もあるがそれすら瑕にはならず、逆に物語全体の虚実入り混じった雰囲気を上げている、元々が、マクベスを土台にしている物語なのだから余計にその効果はあるのだ。。
これは、会社小説でもあるので、もしかして私の苦手な方面のお仕事系の済小説が入ってくる話かなあ・・・と思っていた(その側面もおおいにあるのだが)
通読してみれば、これは恋愛小説であり強烈な青春への惜別という物語であると感じた。そして犯罪小説でもあり、ハードボイルドの要素もまたある。
また、人によってどの部分に重きを置いて読むかというのが変わってくるのがこの小説だと思う。

・・・・
38歳の中井優一は、IT企業のJプロトコルに勤務している。
そして東南アジアを中心に暗号化された交通ICカードの販売に携わっていて、東南アジアで活躍している。
勢い、東南アジアの事情には精通していて、高校時代の友人伴浩輔と会社で再会し彼と一緒にバンコクでの商談を成功させる・・・


前半ではこの中井優一が非常に会社で有能な人間で、とんとん拍子と言ってもいいくらいに出世して行っているのがわかる。
38歳にして副部長であり、社内的には左遷でありペーパーカンパニーの要素を持っていても、その代表になれるのだから。


食べ物描写(飲み物描写)も非常に魅力的でおいしそうだ。
中井のお気に入りで何度も何度も出てくるキューバ・リブレ((コークとラムのコークをダイエットコークにしたフェイク・リバティ、
伴が執拗なまでに食べてはまっている雲吞麺、
マカオのポルトガルのレストランで素手で豪快に食べるアフリカンチキン、
サイゴン駅前でおじさんが普通に売っているとてもおいしいヤシの実ジュース、
とその街の風が匂い立ってくるような描写とともに食べ物が語られていく。
何かがあればラムとダイエットコークを手にしている中井がいて、雲吞麺に向かう伴がいる。

商談をまとめて帰宅の途上で寄った、マカオの娼婦からマクベスの魔女同様のご託宣を得る中井の姿がある。
「あなたは、王として旅を続けなくてはならない。」と。


中井の親友が伴浩輔であり、高校時代に学校の教師が名前から連想してマクベスのバンコーだと指摘されているのが回想で出てくる。
高校時代、鍋島冬香という女子にほのかな思いを寄せていたというのもここでエピソードとともに甘い思いを持ちながら紹介されているのだ。
一度たりとも忘れたことのない鍋島冬香。
どんな女性と付き合っていても忘れたことのない彼女とは何もなかった(付き合ったこともなかったのに)のに、心に常に留めている中井の姿がある。

このあと、中井は仕事を大成功したのに社内的には左遷させられるという出来事が起こる(社長とはいえ)。
二年先輩の元上司である由起子との付き合いもあり、彼女からその左遷の情報を手に入れる中井。
中井のいた会社には様々な側面があった・・・
このあたりは会社小説の側面が大いにある。

このあと、高校時代にほのかに思いを寄せていた鍋島との繋がりが思いもかけないところで登場してくるのだ。
そしてこのあとの展開で、決して普通の現実の会社では起こりえない事件が引き起こされていく。
常に常にマクベスの予言に引きずり回されている中井の姿が心に残る、自分が王として旅を続けるという予言に。
またこれに伴い、伴がマクベスのバンコーであるという思いも拭いきれない。
現実とマクベスの物語が錯綜し中井の行動のあちこちに影響し始める部分が非常に読ませたのだった。

積み木カレンダーの秘密とかこのあたりも細部だけれどとても面白い。
また某人と出会う箇所も、亡命しているある国の人ということなのだが、ここもまた現実とリンクしてある特定の人を想像したりする。
またパスポート偽造などで、実際には今度は中井自身が亡命するということになってくるのもスリリングだ。

中井と伴を見ると、一見伴の方が豪快だし仕事においても有能なように見える。
そしてスポーツ万能で人からの信任も厚く優秀な伴は高校時代に光っていた。
しかし。
伴が中井のことを評してこう言っている。
「中井には誰かを羨ましいと思う感情が欠けているんだよ。
だからおまえは恐ろしい。
俺はおまえが怖くて虚勢を張っているだけだ」
名台詞ではないか、これは。

マクベス、が土台になっているので、結末は予測できる、滅びに向かっているのだろうなあと。
最後の一行で小さな満足の溜息をついて本を閉じたのだった。

ネタバレ付記
シェイクスピアのマクベス
・かねてから、心の底では王位を望んでいたスコットランドの武将マクベスは、荒野で出会った三人の魔女の奇怪な予言と激しく意志的な夫人の教唆により野心を実行に移していく。王ダンカンを自分の城で暗殺し王位を奪ったマクベスは、その王位を失うことへの不安から次々と血に染まった手で罪を重ねていく……(新潮文庫紹介から)

マクベスは魔女たちからはいずれ王になるお方という予言を受ける(これが中井がマカオの娼婦から言われた王は旅を続けるという予言に繋がる)
疑心暗鬼になった王マクベス(中井優一)は、戦友のバンクォーまで殺してしまう(これが伴浩輔に繋がる)
王マクベスはかつての家臣に命を奪われる。

・後半、中井自身が殺人者になるという展開に度肝抜かれた。
しかも彼は亡命者になり外の世界にもう出られなくなってしまうのだ・・・

・鍋島冬香がどこに出てくるかと思っていたがこのような登場とは!
最初から見えていたのだ、彼女は。
彼女が整形をしたという時点で、近くにいる森川が鍋島冬香と気づくべきだった・・・
2017.07.10 ミツハの一族


評価 4.6

これってあれ?あれ?あれ??
いくら鈍い私でも、あれ?と思った。
そして解説を読んでやっぱり!あれ。
だって・・・一章の終わりから二章にかけ、そして最終章に至るまであれで満ちている・・・
最後、ひどすぎやしないか・・・

かつての北海道の地に
未練を残して死んだ者は鬼になり、生活の基盤である水を濁す。
その鬼を見て、その未練を想像する役目を持つ人間が集落にいる。
まず見てその様子を語るのが、八尾一族の水守、水守は、昼は目を開けられず夜になってようやく見ることができる。
そして鳥目役は昼間しか世の中を見ることができないが、彼が水守のいったことを分析して、未練を考える。


黒目がちの鳥目役の八尾清次郎が主人公となっている。
彼はH帝国大学で学ぶ医学生だが、水が濁ったことによってたびたび故郷から呼び戻される。

不可思議な水守と鳥目役の関係が目を引く。
どちらも目に一種の障害があるので、昼に目を開けるものと、夜に目を開けるもの、ということで二人の接点がほぼないのだ。
それでも二人の苦悩というのはそれぞれにあるので、なんとなく二人は理解しあっている。
強烈に美しい水守に徐々に惹かれていく清次郎の止まらない気持ちというのが切ない。
それぞれの未練、というのは、それほど大きなものではない、謎として。
でもその未練が鬼に自分をしてしまったというのが痛いほどわかる。

ラストもまた切ないし残酷だ。

以下ネタバレ

これはBL?
水守が一章で女であると思っていたら男だった、という驚愕事実がある。
それでもなお、彼(彼女)に惹かれ続ける清次郎。
最後その気持ちの未練ゆえに、事故で死んだ清次郎の霊は鬼になってしまった・・・


評価 5

とても面白かった。
童話?ちょっと苦いところのあるメルヘン?
いわゆる寓話、だと思うけれど、難しく考えなくても話として面白い。
人間の二面性ということですぐにジキルとハイド氏を思ったが、全くアプローチは違っている。

ぼく、が語り手であって、ぼくの叔父さんメダルド子爵がトルコ軍との戦争に行く。
そこで砲弾にあたり、左右まっぷたつに吹き飛ばされる。
そのうち、奇跡的に助かった部分が右半分。
右半分は悪の部分であった・・・


奇想天外なストーリーと言っていいだろう。
くっきり悪と善が分かれていて、しかも体が割れてしまっているのだから。
体半分が悪で満たされていて、それが前半は悪の限りを尽くす・・・
面白くない物語になるかもしれないスレスレのところを書き込んでいる。
とりあえず半分でも子爵は子爵なので、彼の言うことは絶対であり、しかも彼の言うことはどうも戦争以後理不尽で残虐なことが多い。
それに領民たちは気づいているものの、どうしようもない、手をこまねいているだけだ、何しろ子爵なのだから。
とりあえずは偉い人なのだから。

また、らい病患者の村というのが描かれている。
ここは隔離されていて、皆が半狂乱のような放埓な生活を送っている彼らであり、そしてそれはそれで成り立っている村でもある。
悪の子爵は自分の乳母を病でもないのにここに送り込む、という蛮行まで行っている。
この村も話の中で一つの重要な場所になっている。
なぜなら、後半で・・・

村の中にも、おかしい、悪いことばかりやってるじゃないかと思っている人もいる。
甥である「ぼく」もびくつきながらも、彼に見つからないように見つからないようにと腰をかがめている。
悪の右部分は、半分の癖に、ある少女を自分の妻にしたいと思った。
この少女、なかなか馬鹿じゃないのだ、読んでいて、ここがとても重要なところだと思った。
両親が、悪の方でも子爵なのだから!結婚した方がいい!!と乗り気なのだが、少女は彼の悪の部分を懸念している。
そこはしっかりわかっている少女、なのだ。

・・・
この話、後半になって、今度は左半分が実は生きていて、善になって戻ってきているというのがわかる。
ここで右半分悪と、左半分善が勢ぞろいするわけだ。
善はそれこそ善をしようとしている、ありがたい、と思っている人たちの姿もあるのだが、らい病患者の村に行ってその放埓さを改めようと呼びかけるに至って、彼は疎まれる(ここが非常に面白い)
善は善を成しているだけなのに、と、納得がいかないだろう。
ここに、複雑な普通の人間の感情が見えてくるのだ、善のみでは物事の本質は見えず物事ははかどらず、また悪のみでは悪政になるという真実があるのだ。

最後、両方と結婚を受け入れる約束をした少女が大きなことを成し遂げる。
無垢の少女の勝利、ともいえよう。


評価 5


とても面白く読んだ。
この対談集、騎士団長殺しを特に読んだ後だとさらに興味深く感じるだろう。
ここに対する言及が多いので、読んだばかりだと、あ!なるほど!と思うところが多かったからだ。
また別作品にも話が及んでいるので、そこもぐいぐい読めたのだった。

川上未映子のインタビューってどういう感じなのか知らなかったのだが、村上春樹の本を読みこんでの質問だし(よく勉強している!)、かといって過剰にのめり込みすぎてもいないし、もってまわったインタビューでもないし、決めつけもないし、このスタンスは好感が持てた。
村上春樹も答えやすかったと思う、このインタビューなら。
時に笑いながら(笑ったのは、プラトンのイデアなどを川上未映子が必死に読んできたのにという部分)読んだのだが、率直に知らないことは知らないと村上春樹も語っている。

彼の自分の作品を忘れているのも発言を忘れているのも、すごいことだなあと逆に思ったりした。
なんだかどちらが作者かわからなくなってるじゃないか!(それほど川上未映子は読み込んでいる)
毎日10枚のペースで書くということ
天職と自ら言っているということ
戯曲よりも何よりも小説が自分に会っているんだということ
そしていろいろなところで語られている、地下室のまた下の地下室の話(ここも川上未映子の絵が光る)のこと
特徴的な比喩の出方のこと(決して比喩帳があるわけではない・・・)
日本近代文学のこと
日本文壇のこと
どうやって世界に羽ばたいていったのかということ・・・・


村上春樹よくぞここまで語った、と思った。
これを読んで、もっと自由に村上春樹を読んでいいのだなあ・・・と改めて思ったのだった。
解釈はそれぞれ、受け止め方もそれぞれ、という単純なことを思い知ったのだった。
洞窟の中で語り部がとびっきり面白い物語を語る、それを純粋に楽しもうと思った。

騎士団長殺しで、まりえが主人公の男の人に、胸のことを相談するのが私は読んだ時に違和感があったのだが(思春期の娘が男の人に相談する?)、村上春樹の言葉ですごくここは落ちたのだった(244ページ)
いわく彼を男として見ていないと。
だからこそ二人の会話は内面的で思念的な会話になるのだと。
そしてまりえがそういう関係の持てる人をずうっと求めていたのだと。
12歳ぐらいの女の子が安心して胸のことを話せる相手、だと。

またまりえがワードローブに隠れている部分の話もとても興味深かった。
一体あれは何だろう?と思っていたから。