2015.04.30 永い言い訳


評価 5(飛びぬけ)

たまにこういう小説ってある、自分の心にすとんと落ち、そのあと漣をたててくれるような小説が。

ちょっとうまくいってない感じの夫婦がいる。
その妻側が、女友達とバス旅行に出かけ、そこで奇禍にあい、死亡してしまう。
残された夫は・・・・


単純に書くと、残された夫が知らなかった妻の側面を見ていく、と言う物語だ。
そして読みようによっては、妻と同時に亡くなった女友達の家庭(小さな女の子がいる家庭)と触れ合う夫が癒されていく、とも読んでいくことが出来るだろう。

けれど、物語はそんな単純な話ではない。
打ちのめされているはずなのに涙が出ない夫の、(あれ?)という気持ち。
妻だった女性の下着を見て、(あれ?こんなだっけ?)と思う様子(このブラジャーを見る場面秀逸)。
自分が知らない妻が友達の家で語っていた色々な話。
細部を描くことによって全体像が徐々に見えてくるのだ、この描き方が素晴らしい。

・・・・・・
「そこそこ人気のあるコメンテーターなどもする小説家がいる。
関係性に綻びのある小説家の奥さんが、女性の友人とバス旅行で事故に合い死んでしまう」
と言うところから始まるのだ。
なんせ、奥さんが出てきた、旦那との学生時代のあれこれがあった末に結婚した、でも現状はこうで・・・と読んでいるまもなく、当の本人がぽいっと姿を消してしまうのだ、それも永久に。

じゃあ、小説家の旦那は衝撃を受けたのか。
それはうけているが、なんだか微妙な感じもしている。
それはそうだろう、だって、実は妻とうまくいっていない、自分も浮気をしている状態で妻がいきなり死んでしまったのだから。
これが悔恨、に行くのなら安直な小説だ。
悔恨には行っていない、小説家は実に実に複雑な気持ちで自分の心を見つめ、そして他の事故死した人達のストレートな悲しみのありようを茫然と眺めているのだ。

そして物語は、死んだ妻と一緒に行った女性の友人一家と、小説家との関わりが描かれていく。
これもまた子供がそちら側(友人一家側)はいるので、安直な小説だったら、「小説家がその家の子供に癒され、自分を取り戻していく」という感動路線になるだろう。(そしてそう読む人もいるだろう)
この部分も確かにあるのだ。
あるのだけれど、優れているのは、子供と言えども一筋縄でいかないところが実に鮮やかに描かれているのだ。
だから取り戻していくのは、小説家でもあるけれど、この子供一家でもあって、相互作用が働いている。
居場所を子供達の家に求める小説家は自分自身でも戸惑っているに違いない。
戸惑いつつも、子供にのめりこんで行って、自分の一家でもないのに自分の一家のように感じていくというところも、繊細に描かれている。
ここらがとてもとても巧いのだ。

視点が頻繁に変わる。
子供の視点もあり、これが小学校六年生の子供の視点もあってここもなかなかに侮れない。
彼は中学受験しようとしていて、幼い4歳の妹もまた抱えている。
父はトラック運転手で、いわゆる知的職業にはついていない。
後半でとんでもないことを起こすのもまた父だし、成長期の子供からの批判というのも父子ということでありえる事なのだ。
このあたりもとてもとても設定が素晴らしい。

そして小説家の心の動きがこちらに確実に届いていた。
妻の死、という重い事実からの戸惑いが、小説家を蝕んでいる様子が手に取るようにわかる。

途中笑ってしまうところも多々あった。
子供達に戸惑う(なんせ子供に接していないのでぎこちない)小説家の姿に笑えたのだった。
後半で子供達とようやく心を通わせたと思ったら、別の侵入者が入ってきてそれこそ子供のように自分は必要ないんだ・・・とすねる小説家の姿にも笑ったのだった。
でもでも、ラスト、実は泣けるのだ、ほろっと。
これは安い感動の涙、ではなく、小説家と同化してしまった自分がいたからだった。
自分が何をしていたのか、過去も現在も一体何をどう生きてきたのか。


・・・・
言葉も素晴らしい。
抜き出したい言葉がたくさんあった(だから買えば良かったと思ったのだった)
大体冒頭から引き込まれる。
「大学の時につきあった彼女は、絶頂に達する直前に成ると、もうやめて、と決って言った。ぼくを鼓舞する意味の「もうやめて」ではない。ほんとにやめて、じぶんから身体を放してしまうのだった。」
このあと風船割りの話から、火事の話に行くのだが、全部読んだ後でここを読むとまた違った感慨が訪れる。