カメラ・オブスクーラ (光文社古典新訳文庫 Aナ 1-1)カメラ・オブスクーラ (光文社古典新訳文庫 Aナ 1-1)
(2011/09/13)
ナボコフ

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評価 5

ロリータの原型というので読んでみたが、これは読ませる小説だった。
しかも後半とても意外な展開になっていく。
ナボコフなのにこの展開?とそこもまた興味深かった。

ロリータが幼い娘を育てる、という形で、どちらかと言うとロリータは無垢な女の子、というイメージだ。
多少男と遊んでいようと、自分が(男が)育てていくというのがロリータにはあったと思う。
その結果ロリータが知恵を持つようになり、そしてハンバートハンバートをあしらうまでになっていく、というのは一種のロリータの成長でもあると思う。

けれど、この小説では、マグダという美少女は最初から「ワル」ですれているのだ。
クレッチマーと言う有名な妻子のある美術評論家がのめりこんでいくのだが、それをマグダはわかっているのだ。
悪女物語とも言えよう(若い悪女だけれど)
この物語の中で、クレッチマーだけがマグダが無垢で世間知らずだと思っている。

悪女っぷりが発揮されるのは、単にクレッチマーにわがままを言って翻弄させるだけではなく、前の彼と縒りを戻して彼と共謀してクレッチマーを騙しこむというところだ。
読んでいるとクレッチマーがどんどん奈落のそこに落ちていくのがわかる。
奥さんに愛想を着かされるのはともかくも、娘の病にも立ち会えず死に目にも会えず、全て家族を失っていく。
では、その代わり得たものは、マグダなのか、と言えば、マグダの心はもうそこにはない。

クレッチマーが裏切りを知るのは、ある小説化の小説、というのが実に面白い。
実際にマグダと愛人の会話を聞いていた小説家が書いた小説を偶然クレッチマーが聴くのだ。
ここが実に劇的だ。
そしてこの衝撃のラストと言ったら!

以下ネタバレ
・クレッチマーは自分が裏切られているのを知る。
その結果、車を暴走させ、自ら失明する。
このあとサスペンスになる。

マグダと愛人が遠く離れた場所の別荘を借りて、クレッチマーの目の見えないことをいいことにして、そこで愛人関係を続けるのだ。
この場面でクレッチマーがなんとも哀れである、目が見えないもどかしさが溢れている、目の前でいちゃつかれてもわからないというもどかしさが。