誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち
(2013/11/26)
黒川 祥子

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評価 5

読んでいる間中、辛かった、とても辛かった。
そして打ちのめされた、こんなことがあるなんて。
こんなことが「今の時代に」あるなんて。
そしてこれが全て事実なんて。
誰かに嘘だと言って欲しい、誰かにこれは虚構の世界だと言って欲しいと思ったくらいに。
最初からものすごい迫力で迫ってきた。
テレビ報道は、こういうのをやって欲しい、上っ面の報道だけではなくて。

・・・・・・・・・・・

虐待のニュースを見るたび聞くたびに、その亡くなった子は可哀想だし救ってあげられなかったのかと思ってはいて、それは児童相談所の対応の遅れみたいので、報道では片付けられていることが多いように認識していた。
その時、私が毎回思っていたのは、
この亡くなった子と同時に暮らしていた兄弟姉妹というのは一体どうしたのだろう?
と言うことだった。
虐待を日常的に見ていた兄弟姉妹。
その子達にも及んだかもしれないし、その子は偶然虐待を免れていたかもしれないが間近で自分の兄弟姉妹が殺されるまで虐待されていた日常は想像もつかない。
児童養護施設に行ったのだろうか?
または温かい里親のところに行ったのだろうか?
そしてそこで何事もなくこの悲惨な事件と親を忘れて幸せにめでたしめでたしで暮らしていたのだろうか、と言うことだった。
これは、殺される寸前、または殺されないまでも虐待を受けていた子供が保護され、隔離された場合にも同じことだ。
この子達は再生できるのだろうか。
また虐待の連鎖(虐待された子供が成長した時虐待の親になる)の確率がなぜ高いのだろうか。

この本は、その実情を何例かに分けて出してくれている。
具体的に、どういう事例かというのが男女と年齢を出してくれているので非常にわかりやすい。
そして、虐待の家にいた子供たちが児童養護施設に引き取られ、そのあと、ファミリーホーム(里親制度から新しく出来たらしい)に引き取られた後にも出る「後遺症」のようなもの。
それはトラウマとも言えるが、あまりに壮絶だ。

一種の精神病理に近いような解離状態(目の焦点が合わなくなり全く反応がなくなる)
突然の暴力と罵詈雑言。
極度の落ち着きのなさ。
心理学的に言う「愛着障害」の発生。
未来に希望が全くない心理状態。
異常なまとわりつき。

これらを持った子供たちを、里親が育てるところには必ず壁があるだろう。
事実この本の中でも、根を上げている里親がいるのがうかがえる。
なんとか良くしてあげよう、せめて温かい家庭をあげようと思っていても、普通に育ってきていない子供を育てると言うのは、ただでさえ大変な子供を育てるのに輪をかけて大変なことだと思った。
懸命な努力をされている所に頭が下がる。
児童養護施設は、途中でひどい児童養護施設も出てきたが、一生懸命なところもまたあるのだろう。
これはどうなのだろう、査察とか入らないのだろうか。

親に虐待されていても戻っていく子供の悲しさ、というのも伝わってきた。
もう母親は別の相手と結婚してそこで子供がいて、明らかに客観的に見てその子は里親宅にいたほうがいいのに、あえて母親のところにどうしても戻りたがる子供には泣けた。
また自分の手についたやけどの跡をこうされたの、と淡々と話す子供にもまた泣けた。

・・・
また子供が小さい時に獲得していくこと。
これって、親とは言わず大人が模範を示していくことなんだなあ、と何気なく自分でしていることにも親から教わったことが多いのだというのがわかった。
たとえば、髪の毛を洗う洗い方がわからない子。
トイレで大便の拭き方がわからない子(これが多かった)
いわば、自分の身づくろいが出来るということなのだが、生きていくだけで大変な子供たちに、これを望むのは酷なのだろうか。

光もいくつか乏しいけれど見えた。
知能が遅れていると思われていた(虐待されていた子供は往々にしてそう見られる)子供が優秀な成績を取ってにこにこしているとか、温かいファミリーホームで朝食の選択を楽しそうにしている姿とか、小さな小さな光は点っていたのだった、それでも。