2014.06.08 八月の六日間
八月の六日間八月の六日間
(2014/05/29)
北村 薫

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評価 5

最後とてもすがすがしい気持ちで終わった。
ただ、どかんばたんと何かが起こる小説、というのを期待している人には不向きな小説だろう。
山登りということに全く興味がない私ですら、ぐっときたのだった。

山に登る。
それは途中の花々とか自然の移ろいとかそれを愛でるものであって、そして頂上に着いた時の爽快感を味わうのものであって、とそこまではわかる。
が、ではなぜ山に登るのか、人は、というところの根本的なことは私はわかっていなかったように思う。

「山に登るってことは、自分を掘り下げること
自分を追い込むこと
自分の限界を見つめること」

ということがしみじみと感じられたのだった。
自分堀りと限界。
特に単独で登り始めてからは、ここは自分で行けるのか?この体調でこの天候でここは行けるのか、と自問自答の連続だ。
持っていくもの、持っていかないものの選択もすべて自分にまかされる。
このあたりが日常ではなかなかないことではないか。
まして、山でこれができないと死との隣り合わせである(だから自分の限界を見極めることになる)

思ってもみなかった過去とも対峙する(この主人公は演劇祭の時の出来事などをゆくりもなく思い出す。そしてこの演劇祭の出来事からも主人公の性格が垣間見える)
思い出したくないある出来事とも再び向き合う。
なぜこの編集者が山登りに誘われたか、それはある種の倦怠があったから、それを同僚の藤原ちゃんに見抜かれたからなのだが、この「倦怠」がなんであったかというのは、後半になると徐々にわかってくる。
男女のことだったのだ。

後半、一つの再会の場が設けられているのだが(これが夢のような場)、ここに至るまでに主人公の心がおおいに山によって成長していったのが感じられた。
自分を山で解放し、山から何かを受け取る。
受け取るものは実際にそこで出会う人々でもあるし、自分への心への何物かでもある。
この作業をしているというのがとても感じられたのだった。

またこの小説一種の教養小説でもある。
山に持っていく一冊の本のセレクトが誠に好ましい。
たとえば
・冥途(内田百閒
たとえば
・掌の小説(川端康成)
たとえば
・私の食物誌(吉田健一)等々・・・・