しゃべれどもしゃべれども (新潮文庫)しゃべれどもしゃべれども (新潮文庫)
(2000/05/30)
佐藤 多佳子

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評価 5

小説を読まずして映画を見てしまったので、あとから惜しい、と思った。
小説をこれは先に読むべき話だと。
映画を見るとどうしてもその役の人に引っ張られる。
これだったら、どうしても三つ葉君が映画の「彼」に思えてならない。
十河がどうしても映画の「彼女」に思えてならない。
映画は映画で見るべきところがあるし良く出来ているのだが、自分の想像を羽ばたかせるためには本が最初だったなあ・・・と反省したのだった。
それほど素敵な本だったのだ。

この話、ラストになっても特に救いがあるわけではない。
それなのにこのすがすがしさは只者ではない。
落語を愛しているもののなかなか芽がでず落語の二つ目でもがいている三つ葉を中心として、ひょんなことからそこで落語を習うことになる人たちがいる。
方言を笑われていじめのターゲットになっている小学生、解説がうまく出来ないでやさぐれた元野球選手、コーチしている時にどもってしまう親戚でもあるテニスコーチ、そして人間関係がうまく構築できない無愛想な女性の十河。
彼らのもがき、というのと焦りというのと、何かを変えたいという気持ち。
それがぐっとこちらに迫ってくる。
なんとか。
なんとか変えたい。
なんとか打破したい。
でも何をどうしたらいいのか全員が全員わからない。
この状況を落語が救ってくれるのか、しかもこれまた行き詰まっている二つ目の三つ葉が思いついたようにはじめた落語の教室が。

広義では一種の成長物語でもあるのだと思う。
変わっていないようでも最初の方と最後の方、それぞれが微妙に変わっている。
人間の変わり方ってそんなに劇的に日常では変わらないから、この変わり方が実に本当っぽい。
そしてなんといっても涙が出るほどいいのは、小学生の子供がクラスを集めて落語をする場面だ。いじめの親玉のような子が来てくれた、その喜びと不安。懸命に落語を語る小学生。
全員ががんじがらめになったものからほどけていく姿がほのぼのとしていてそれでいて力強くて、ぐっときた。

ほおずき市の十河と三つ葉のシーンも忘れがたい。
そのあとぞとほおずきを三つ葉が十河の家に置いていく姿もまた。

落語、ということを軸において生まれた傑作だと思う。