評価 4.9

こういう読書会が行われていたことすら知らなかったが、この読書会は、「一冊の本を皆が語り合う」(と言う部分もあったらしいけれど)というよりは、「ある一冊の本を思い入れのある作家なり知識人が語ってそれを拝聴する」と言う気配の濃い読書会らしい。

取り上げられている本は
・アンネの日記
・赤毛のアン
・悲しみよこんにちは
・嵐が丘
・第七官界彷徨
・放浪記
・智恵子抄
・キュリー夫人
・苦界浄土
・女たちよ!
である。

自分の思いとか自分の育ちを絡めて読んでいる人達がその本を縦横無尽に語る、この形式。
怖いことにその人の知識とか人となりとか、本の読み方とかひいては人生の生き方が言葉として出てきていると思う。

文章として読ませ、しかも抜群に面白い考察だったのが鴻巣友季子の嵐が丘の話だった。
二つの家庭の話、として、二つの家庭の家計図を示している(なんてくっきり見えてくるんだろう!)
さらには、章ごとの解説が素晴らしい。
根本は、ヒースクリフとキャサリンの恋愛の話であるが、その裏に語り手の「ネリー」という重要な存在がいて、彼女が全てを見ている様子、そしてラストの部分でネリーが実に意外な重要人物になっていたという事実(ここ気付いていなかった、私は)に至っては舌を巻いた。鴻巣さんの訳では読んでいないのだが是非読んでみたいと思ったものだった。
そしてこの話、もっと長く語っていただきたいとも思った。

同じく、目を見開かされたのは、角田光代の第七官界彷徨についての話だった。
どういう経緯でこの話を1980年代のまだブームになっていないときに手に取るようになったのか、どういうところで良いと思ったのかが素直な言葉で語られている。
第七官界彷徨の良さがあまり私にはわからなかったのだが、この文章を元にもう一度読んでみたいと思った。何かしらの別の感情が生まれてくることを期待して。
余談にはなるけれど、角田光代の八日目の蝉のドラマ化映画化の話の中で(彼女自身は口を出さない方針らしい)
・小説では母性をテーマに描き
・ドラマ化された時には、愛する主体になることで生きていくことが出来る、と言う大きなテーマになって行って(テレビと言う媒体があるので)
・映画化された時には、魂の解放と言うテーマになっていた、
というのが読んでいていどきどきするくらいに面白かった(納得した)、それを理解して受け入れている角田光代の聡明さも眩しい。

面白いと思ったのは、末盛千枝子の智恵子抄。
この人が舟越保武の娘であるということまでは知っていたけれど、この名前が光太郎の命名であるとは!
お父さんがまだ彫刻家になる前に高村光太郎に直談判しに行ったとは!
末盛さんの育っていった屈折した名前への思い、というのも極私的なことながらとてもとてもわかる、誰だって光太郎から字こそ違っていたとはいえ、ちえこと言う名前をつけられたらそれは屈折もしたくなるだろう。
ここから、智恵子への光太郎の思いとか十和田湖畔にある彫像の話とかに飛んで優れたエッセイだった。

非常に私が心打たれたのは、苦界浄土。
竹下景子が語るのだが、取り上げる文章文章が泣けて泣けて、これを竹下景子が朗読したらさぞや素晴らしかっただろう!と改めて苦界浄土の言葉の持つ重みのようなものを感じたのだった。
今こそもう一度読んでみるべき本かもしれない。

・・・・
一方で。
ウィキペディアを参考にしている文章があるけれど、それってどういうことなのだろう。
ウィキペディアをそのまま引用するって、そこまで信じているのだろうかと違和感たっぷりだった、お手軽ではあるだろうけれども。
あと自分の父親との何かを語るというのはとても難しいことなのだなあと思った。
同じ語るのでも、末盛さんのお父さん語りは、ほとんど彼女の家の実情を知らないのに心打たれる(ちょっとだけ雑誌の連載で読んではいたものの。この人の文章はとても好きだ)
別の人の小さい頃の家庭の話は、ああ・・そうですか・・ぐらいの感想しか出ない、この違いはどういうことなのだろう、と今ちょっと考えている。