評価 3.9

覚悟がいったと思う、実際の事件に類似した犯罪を描いた小説、なのだから。
類似というか、少年Aをどうしたって思い出す、ここでも少年Aだが。
少年Aは14歳の時に近所のたった7歳の女の子の首を切って、教会に置いたという設定だ(ほぼ神戸殺傷事件と同じ設定だ)。
そして、
・屈折した思いを東京で抱えながら、小説教室に通ってなんとか作家になりたいとあがく30過ぎの女性が、東京から実家に戻り妹と母の面倒を見ながら、少年Aの事件に興味を持ち始める、という作家部分。
・少年Aが祖母に育てられ愛され、そこから実の母に引き取られ宗教団体のところに行ってそこで奇妙な男に出会ったり、中学校でいじめられたり、転々と住居を変えた挙句祖母の家に(祖母は死ぬのだが)戻ってきたという、彼の部分。
・莢(さや)という高校生の少女がいて、少年Aを神様のようにあがめていて、聖地巡礼と称して彼の犯行現場とか教会とかを訪ね歩き、そのうちに少年Aにどうしても実際に会いたくなるという部分。
・なっちゃんという一見普通に見える三人家族(夫と大学生の息子)を持っている主婦が、実は少年Aの殺された娘、光の母親であったと言う部分。
に分かれている。
作家部分は途中で消滅しているのだが、少年A,莢、なっちゃんが奇妙に交錯している。
特に、聖地巡礼の莢となっちゃんが交流を深めているのだ。

どのページも胸つまる。
この胸のつまり方が決して心地よいものではないのは、細かく書かれている割には読ませる割には(読ませるのは確か)、少年Aの実態がまだ私の中で落ちないからだ。
少年Aの生育歴を述べても(虚構とはいえ)それは、彼の一部でしかなく、もうこれだけのことをするというのは生まれつきとしか言いようがないという気がした。
しかもこれだけの手間をかけて彼を更正させようとする意味って何なんだろう。

この話がもやもやするのは、
虚構の物語なら虚構の物語で、これは虚構なのね、未成年の残虐犯罪が少年法で守られているのね、その被害者は晒されるのに加害者は晒されないで少年Aのままなのね、被害者一家は何年たっても傷が癒されることは永遠にないのね、と、問題点を別物で深く考えることも出来る(そういう作品も別作家である)。
でもあまりに本当の事件に即しているので、実にねじれた感想になってくる。
生育歴の部分は虚構も混じっているのだろうけれどそのあたりの扱い方というのはとてもナーバスなものだと思う、本来は。
そこらあたりが実に腑に落ちないし、この話を実際の被害者一家が読んだらどうなのだろう、というのも考えてしまう。

更に、莢の憧れる気持ちというのが憧れるのはわかるがなぜか、というところが書かれているけれど、描き方が浅いのでこれまたよくわからない。恋と言われてもどうなんだろう。
彼女の家庭環境も描かれてはいるし海外に出っ放しの母に放っておかれたというのもわかる。
でもそれと少年Aを神様のように思い、彼に死んでほしい人を祈るまでの気持ちになるってどういう飛躍があるんだろう。
そのあたりが私は読み取れなかった。
聖地巡礼のあたりはちょっとだけわかる。
でも本人にこれだけコミットするというのはどういう心情なんだろう。

被害者一家の悲惨な様子にも胸つまった。
ここはとても辛かった、特に莢を迎えてコロッケを食べる4人の姿には泣けた。
泣けたが、ここでも考える、これは虚構の物語なのだがこういう想像ってしていいものなんだろうか。
安易に泣いてもいいんだろうか、私ごときが。

・・・・
屈折した作家になりたい女性の部分もよくわからない、これがどういう意味を持っているのかが。
鬱屈した思い、ネットで評判のいい本に文句をつける姿、ネットでの感想の書き込みに否定的な姿。
しかも、とても受け入れられなかったのが、性描写だった。
これも必要なのか?この話全体に。
少年Aが小さい時に暮らした宗教団体の話も必要だったんだろうか。
特にここにいて後半出てくる親代わりだったルーと言う頭でっかちの医師の男は必要だったんだろうか。
少年Aが小さい時に小動物を解剖しても何も言わなかった彼のせいなのか。
そして神父もまた。

虚構の物語でありながら、実際の事件に即している小説。
虚構と現実の重なり合い。
説明不可能の事件を扱う難しさというのを思ったのだった。