評価 5

この本を読み終えてから、空を見上げてみた、
あのどこかに神宮球場で村上春樹の手のひらにひらひらと「落ちてきたもの」というのがあったのだろうかと。
このエピソードは(ヤクルトの試合を見ていたら啓示のように小説を書こうと思った)知っていたのだが、こうして再度読んでみるとやっぱり印象深い。
思い込み、かもしれないし、元々どこか無意識の中に「芽」はあったのかもしれない、何しろ本を読むのは大好きな青年だったのだから。
仮にそうであっても尚、こうして作家って思いがけないところで生まれて思いがけないところで育っていくのだなあ・・・まさに奇跡だなあ・・・と改めて思ったのだった。

最初の方の、作家の集団が温かく新人を迎える、という話もとてもとてもわかったのだった。
自分の領域を食う、かもしれない。
でも作家で続けていける人は本当にわずかだ、ということを皆わかっている。

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それぞれの作品についてへの言及もまた面白かった。
最初の風の歌を聴けを書き出してそれを英語で書いて翻訳した、と言う話(驚いた、そしてこれと、1973年のピンボールが村上春樹いわく「キッチン・テーブル小説」(キッチンテーブルで書いたから)
人の名前を付けなかったこと、最初のうちは(確かに)
ダンスダンスダンスを書いた時の状況、
売れに売れたノルウェイの森、
そして海外で書いた本・・・・

また創作で、何度も手直しする人間だというのも興味深かった。
トンカチ仕事と言っている作業が村上春樹自身は嫌いではないらしい。
そして定点観測をするような(村上春樹の場合は奥様らしいが)読み手が誰にも確実に必要だと言うこともわかったのだった。

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後半で、海外での展開について書いてある。
この部分、私は知らなかったしそれでいてとても疑問を持っていた部分だったので、食い入るように読んだ。
翻訳者に恵まれているなあ・・・と言う一言では済まされない状況(村上春樹自身が英語を見直す)、
ニューヨーカーに掲載されると言う光栄、
全ては英語にしたところから始まると言うこと、
タイプの違った翻訳者が現れるという幸運、
こうしたことに囲まれて(また努力して)世界の村上春樹が出没するようになったのだなあと感慨深かった。
また、当時の世界状況も非常に関係してくるので(ロシアとかへの言及がある)ここも彼にとってはラッキーに働いたのかもしれない。

河合先生への小さな一文もまた心打った。
河合先生と村上春樹との対談集は非常に面白いだけに、哀悼の意が身にしみる。

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しかし読み終えてみて強く思ったのは、作家になるというのは難儀なことなんだなあ・・・ということだった。
国内の毀誉褒貶(確かに海外で認められるまで叩く人が非常に多かった)を経て、海外に足場をもって行った村上春樹。
その決断は正しかった、と言わざるを得ない。

この本を読んで、最初の風の歌を聴けを猛烈に再読したくなった。
何度も読んでいるけれど、こういう感じで出来たのか、こういう気持ちで書いていたのかというのが改めてわかったところで。

(全く忘れていたのだが芥川賞に二回もノミネートされていた。
そして賞への思いも書かれているが、ここもとても理解できた。)