評価 5(飛びぬけ)

(以下、結末にも途中の殺人にも触れております)

贋作(次作品)が出るので、久々に読んでみた。
まあ・・忘れていることの多いこと・・・

映画(アランドロンのバージョン、太陽がいっぱい)と比べると、一番の違いは、
はっきりここには、トムがゲイの可能性が高い、と書かれている。
どころか、成り替わる対象のディッキーにさえそのことで嫌悪され、そのことで齟齬ができてくる。
ディッキーとのはらはら場面のひとつで素晴らしいと思っているのは、ここは映画でもある場面なのだが、
『ディッキーの洋服をトムが着て鏡の前の立つ』
という場面だ。
ディッキーがいないと思ってこれをやって自分をディッキーにたとえ
惚れ惚れとして自分に見惚れると同時に、ディッキーへの思いに気付くトムがいる。
このあと、ディッキーにこのことを見とがめられる場面は、小説でも映画でも本当に哀れだ。

また、本には、トムの出自が細かく描かれている。
両親がいない、そして叔母さんに育てられたという悲惨な幼少時代がある
そこで育てられた彼の孤独感、異常な性癖(と当時は思われていたゲイ傾向)、物とお金に対する執着が見えてくる。
更に、ディッキーが家に帰ってこないので困ったことになった、だから頼まれてほしい彼を探しに行くのを、とグリーンリーフ氏(ディッキーの父)に頼まれるところから事細かに描かれている、本書は。
ディッキーの病弱な母さえも出てきて、この両親とトムは食事もしている。
つまりは信頼されていたのだ、トムはこの時点で。

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まばゆいばかりの地中海で行われた一つの殺人。
読んでいくと、トムがディッキーを殺してしまう、に至るまでに非常に屈折した彼の心理を見た。
ディッキーを愛している。
ディッキーはその気がない、そして女友達のマージと親しくしている(けれどこれは、映画ほど親しくはない、ここはディッキーが冷めている)
ディッキーというあこがれの存在に近づくために、鷹揚な様子を真似するトム、イタリア語を勉強するトム、ディッキーとなんとか行動を一緒にしたいと熱望するトム・・・
しかしディッキーは、一度トムをゲイの方向で考えると(そしてそれは当たっている)もう違う方向で考えることができない。
さげすんだ目をしてトムを見るディッキー。
今までだったらばか騒ぎで一緒に遊んで一緒に住むまでになったディッキーなのに、あるところを境目に非常に冷たくなるのだ。
そのあるところ、という分岐点が、洋服を借りたところを目撃、なのではないかと思う。

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トムがディッキーになり替わる。
もし、ディッキーが知り合いが少なかったら、これは非常に容易なことだろう。
ところがディッキーには友人が多い。
しかもディッキーとトムを同時に知っているマージとのちに殺される友人のフレディ(真相に気付きかけたので殺した)がいる。
このあたりが非常に頭を使い、面倒なところだ。
一方でトムを生かしておいて、一方でディッキーを失踪させなければならない。
でもあるところではディッキーでいなくてはならない。
ここを堂々と裏表使い分けていくところがトムのトムたる所以だと思う。

タイトルが、太陽も何もなく、 The Talented Mr.Ripleyというのがとてもわかる。
才能あるリプリー君。

そしてこの最後は、勧善懲悪ではない。
まんまとするりと抜け出すのだ、悪の道から。
さて、この続き非常に楽しみである。