2016.11.24 あひる



評価 4.9

大変面白く読んだ。
心の中にぽとんと錘のようなものを落としてくれた本だった。
さざなみがさあっとできて、それが大きくなっていくようなそういう心持になったのだった。
あひる、は、何気ない本当に普通の一家の日常を描いている。
そこに飼われているあひるが来た、という話だけだ。
ところが、この不穏さはいかがしたものだろう。
読み終わって、・・・これは・・・といろいろと考えたのだった。

(以下話には触れます)

まず、あひるの語り手の女性は何だろう?
この家の娘だけれど、働いていないで資格の試験を受けようと勉強している(ここまではわかる)
でも落ち続けている(これまたわかる)
そこまでは、ある話、なのだろうが、じいっと、あひるが飼われていく経緯、そこに近所の子供が集まってくる経緯を見つめていて、そこから崩れだすさまが読んでいてちょっと不気味だ。
なぜなら、あひるが途中で死ぬから。
死んだのはあからさまで、『どこかにもっていって新しいあひるをまたもらってくる』という行動を黙ってするお父さんも怖いが、絶対に前のあひると違っているのに、そのまま前のあひるとして受け止めている『わたし』も怖い。
それが一度ならずとも数回繰り返されるのも怖い。
途中でもしかして『わたし』の勘違いかとも思った、思い込みかとも。
ところがそれは、最終のほうで、ある一人のやってきた小学生によって、やっぱり違うということがあからさまになっていく。
この場面もとても怖い。
ねえねえねえ、と執拗に迫る女の子はいったい誰なんだ。
またこの直前に夜中にやってきて鍵を探す男子小学生は誰なんだ。

また、子供たちが集まる、あひるを目指して、と本来はほのぼの話だ。
最初のうちは明らかにそうだ、ほのぼのとしていて、小さい子供が久々に来ている老夫婦の家(受験勉強中の娘はいるものの)にたくさんやってきてお菓子などを挙げて、そのうちそこで宿題とかもして、と、のんびりした雰囲気が醸し出されている。
が、これも途中で徐々に変わっていくのがわかってくる。
でもそれは『わたし』目線なのでそれほど問題があるようには書かれていないのだが・・・
現実の(そこまで夢の世界のようだった)お兄さんが久々にやってきて、たむろしている子供達を追い出す、知らないうちにここは不良のたまり場になっていたのだった・・・
そしてお兄さんの子供・・・

一体何だったのだろう、あひるとの日々は。
なぜ両親はあひるの死んだのをなかったことにしようとしたのだろう。
なぜこの『わたし』はそれを指摘しなかったのだろう。
なぜ全員が新しいあひるを最初のあひるとして受け止めたのだろう。

・・・・・・・・・・・・・・
おばあちゃんの家森の兄妹は繋がっている。
おばあちゃんの家はみのりの家のすぐそばに立っていて、そこにみのりはよくいっている。
これもまた不思議な話だ。

(以下話に触れます)

そのおばあちゃんの家はインキョと言われていて、洗濯物を届けるのはみのりの仕事だ。
途中でこのおばあちゃんがだれかということが書かれていて、曾祖父の奥さんだ、でも子供は生んでいないので誰と餅がつながっていない人というのもわかってくる。
みのりの両親も一歩引いているのがよくわかる。
でもみのりはここに無邪気に遊びに行ってはいろいろなものを飲み食いし、夕方にはお母さんが作った夕食を届けに行く。
だからみのりはとても重要な役割を背負わされているのだ、なぜお母さんがいかないのだろうという疑問がここにも出る。
両親がみのりのしつけのことでおばあちゃんを叱っている描写もある。
そして、おばあちゃんが崩壊していく・・・のだが・・・これにはっきり気づいたのは子供たちだった・・・
秋祭りの日にみのりが竹やぶで迷子になりまず電話したのはおばあちゃんだった・・・そして彼女は杖をつきながら探しに来てくれた・・・

森の兄妹は、学校でいじめられている貧しいモリオ君の話だ。
貸した本が湿ってしまうモリオ。
妹が落書きをしてしまったこともあって皆から本を貸してもらえなくなったのだった。
彼の救いの場所になるのがおばあちゃんの家だ。
そこでびわとかお菓子をもらっていく・・・・