評価 5

好みあるだろうと思う、挿絵部分については。
私はとても良いと思ったけれど、自分の思いとは違う挿絵に、え、と思う人もいるだろう。
けれど、このセレクションのすばらしさを評価したい。
それぞれ有名な作家だけれど、選ぶのはマイナーな作品だ。そしてどれもぐっと面白い。
岡本かの子に始まって、川端康成で終わる楽しさがある。

この中で、快走、は含み笑いをもって読み終えた。
きっと今の女子だってジョギングしているよ、の時代では何のことやら?なのだろうが、書かれた当時の状況を考えると、こんな風に走るということ一つとってみても不自由な思いで走っていたし、こっそり走っていたのだろう。
弾けるような娘の若さがありそれを持て余して走るとすっきりするという発想の豊かさよ!
最後の両親の言葉までふくっと微笑める作品だ。

葱、は、この情景そっくりではないけれど極めて似た状況ってあるなあ・・・こういうことって、とかなり激しく思った。
夢を見たい。
だけど現実もある。
人間は生きていかなければならない。
そしてこのお君さんは夢心地のデートの最中に安い葱を見つけて何のためらいもなく買ってしまうのだ。
誘った田中君のがっかりした感じが伝わってきた。

地唄はいかにも有吉佐和子的、な短編だ。
芸事の道にいる父娘がそれぞれの思いをなかなかうまく伝えられない。
父が最後に取った行動が光る。

表題作の耳瓔珞も、またきわめて円地文子らしい話だ。
体の病気で夫に見捨てられてしまう滝子、死口という言葉が生々しくこちらに迫ってくる。
そしてそれだけではなく、夫には触れられない滝子の女心の揺れ、のようなものが描かれている。
最初は、高梨画伯から、そして後半は滝子が誘いをかけうぶな男をどぎまぎさせる次郎さんの躊躇いまでが流れるように描写されているのだ。

神、います、は短いけれどものすごい作品だと思った。
最初の方で温泉場(どうやら混浴らしい)で、妻の幼い体を洗っている夫が艶めかしい。
と思ったら、この状況がなぜ起こっているかというのが徐々にわかってくる。
妻は手足が動かせない病なのだ。
そしてさらに驚くことに、この情景を見ている鳥屋という男性が、妻を知っているそれも少女のころに傷つけた女性だったということに気づくのだった。
その内容はわからない、書かれていないから。
けれど、一気にここに持ってくる面白さがミステリのようだ。
そして鳥屋の気持ちがあちこちにさまよっていく・・・このあたりが、もう鳥屋が身勝手な解釈をして、神、います、まで思っていくというところに鳥屋の人間性が見えるような気がした。
これって勝手な理屈なのだ、鳥屋の(と私は思う)

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桃のある風景(岡本かの子)/快走(岡本かの子)/葱(芥川龍之介)/むすめごころ(川端康成)/あばばばば(芥川龍之介)/地唄(有吉佐和子)/耳瓔珞(円地文子)/佐々木のおはるさん(白洲正子)/蛍(織田作之助)/神います(川端康成