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だがなぜ彼女は話さないのか。
エウリピデス『アルケスティス』


評価 5

(サイコセラピストは『診る側』、原題はThe Silent Patientなので『診られる側』と、タイトルは逆になっている)

最後に至るあるページで度肝抜かれた!!
あらゆる想定をしていたが、私の想定をはるかに超えていた!!
本を取り落とすほどの驚きだった!ここだけでも満足度があるけれど、そこに至るまでの経緯が非常に読ませる。
サイコセラピスト側の独白のみではなく、最初から、患者側の今は黙しているアリシアの日記が織り込まれているので複数視点になっていてそこもまた読むポイントの一つになっている。

内容的にも、サイコセラピスト(心理療法士)が、精神病院に入院して6年間沈黙している女性の口を開かせる任を負うところがメインの話だ。
しかもその女性アリシアは、愛していた夫を銃で殺していた、体を縛り上げたこの上なく残忍な方法で。
話の行く末が見えなくて面白いし、それぞれの家庭の事情と出自も含めページターナーであるのでついつい次のページをめくってしまう。
プラス、ギリシア悲劇の『アルケスティス』がモチーフとなってあちこちに重低音のように響いている。
この話をこのミステリに入れ込んだセンスの良さが伺える。

父親に抑圧されて暴力に支配されて育ったセオは、対人関係でも生きていく上でも何に対しても自信がなかった。
そんな彼を救ってくれた心理療法士がルースだった。
他の人を救いたいという思いの元にセオの選んだ職業は心理療法士であり、得難い愛するキャシーという女優の伴侶も得た。
順調なキャリアの途中、『夫を殺して6年間沈黙し施設に収容されているアリシア』という女性画家の口を開かせるのは自分しかいないと、その施設に乗り込んでいくのだが・・・



精神病院関係の人は、患者であっても先生であっても誰もが胡散臭い。
セオがアリシアを診ることすら拒絶する先生がいるし、そもそもこの施設そのものが存亡の危機に瀕している(だからこそ、セオがアリシアの口を割れば施設継続のプラスになるので、これはセオにとってプラスになったわけだが)。
セオがアリシアを診てもいい派と拒絶派がくっきり二派にわかれているのだ。

セオが美しい女優の妻キャシーにほれ込み相手からも愛されるという僥倖に恵まれたことの流れも微笑ましい。
陰惨だった彼の人生を照らしてくれた唯一の人それがキャシーだったのだ。
彼女の闊達さ、美しさ、太陽のような明るさがセオを救ってくれた。
また患者側のアリシアもまた幼少時のトラウマから抜け出したのは、写真家の愛する夫ゲイブリエルのおかげだった。
彼女に存在価値を教え、彼女の画業の進展に寄与し、愛することを教えてくれた人間性豊かなゲイブリエルのおかげでどんなにかアリシアは救われたことだろう。
このミステリは二人の病んだ心を持った人間(セオとアリシア)が愛する人たち(キャシーとゲイブリエル)によっていかに救われていたか、というのが非常に重要な部分になってくるのだ。

一体何があったのか、この愛し合っていた夫婦に?という部分も勿論興味が出てくる。
そして勢い込んでこの人の心のケアに乗り込んできたサイコセラピストセオもまた幼少時に心を傷つけられ、彼もまたルースという心優しい心理療法士に出会って何年もかかって治療した、という患者側でもあったのだ。
今はその経験を活かし、患者を診る側、になっている。
いつアリシアが真実を話すのか。
そもそもアリシアが殺したのか。
沈黙しているわけは何なのか。
セオの使命感とは何なのか。
セオの思いは達成できるのだろうか。
このあたりが物語を牽引していく。

とても面白く読んだのだが惜しいと思うところもいくつかあるのだ。
ここがもうちょっとこうだったら、というのはない物ねだりか。

映画化もあるようで、映画化されたら是非見たいと思う作品だ。

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以下ネタバレ

・最大の驚きは、

セオが決して自分が治せるという気持ち(使命感)だけでアリシアの治療にあたったわけではなく
(そしてここは読んでいて疑問に思ったところの一つ。
いくら自分がかつてセラピストによって回復したからと言って他の人を回復させることへの異常な使命感、またアリシアにターゲットを絞った違和感はあった。
最後まで読むと、あえてのアリシアということがよくわかる、セオは何しろ事件にかかわっていた当の本人なのだから。)

当の本人のセオが、6年前の殺害現場にいたこと、
どころか、椅子にゲイブリエルを縛り上げたのはセオだったこと、
銃で脅したのもセオだったこと、
そしてずっとアリシアが誰かが付きまとっていたというその、付きまといの誰かがセオであったこと、

だった。
実際に殺したのは、アリシア。
でもそのおぜん立てをしたのはセオ。
(セオはアリシアがその後殺したというのはニュースで知った。その前に退室していたから)
6年前にアリシアの夫ゲイブリエルを縛って殺そうとしていたのは(実際は殺していないが)セオであった。
その時に選択をさせる、ゲイブリエルに。
自分か、妻かどちらかを殺すと言ったらどうするかと。
そしてゲイブリエルは自分を生かしてほしいというのだった。

幼少時に父親から妻の代わりに娘が死ねばいいという暴言を聞いて自分の存在価値をなくしていたアリシアは夫に父親の目を見る。
またこの時に愛していた夫ゲイブリエルは不倫をしていたという事実をセオに聞く。

・セオは、ゲイブリエルを憎んでいた。
なぜなら、愛する妻キャシーの不倫相手だったから。
ゲイブリエルを監視しいつか罰するべく、ゲイブリエルの家の周辺をうろうろしていたのだった。

・時制が並列に書かれているのでわかりにくいのだが、

ルースに自分の妻キャシーが不倫していたという事実を話し泣き崩れるセオの姿は6年前。
キャシーが不倫していたのも6年前の出来事。

そして、キャシーの相手のゲイブリエルは殺され、キャシーは6年後見る影もなく太ったただのだらしない女性になる。

・ルースの治療はセオに役に立っていなかったということも描かれている。
これがルースをがっかりさせることだという事も。

結局ルースの長い間のセラピーはなんらセオの幼い時に痛めつけられた心を根本的には回復させてなかった。
途中で薬を復活するようになるのも、だし、キャシーとの間の縁を切る決断も出来なかった(ルースはこれを勧めた)

・一点惜しいと思うのは。

ゲイブリエルとキャシーがそれぞれを相手に不倫していたわけだが。
これは一時期の気の迷い?
ゲイブリエル、キャシー側からの、なぜ不倫をしたかというのが知りたい、これだけ愛し愛されていたと見える夫婦なのに。
心を病んだ配偶者が重荷だったのか・・・(というのが私の想像

この二人がどうやって出会ってどうやってこの深い仲になり、どうやってそれぞれの配偶者に思いをはせていたのか。
そのあたり描いてほしかった。