10月の読書メーター
読んだ本の数:9
読んだページ数:3270
ナイス数:256

Ank: a mirroring apeAnk: a mirroring ape感想
前作も非常に楽しんだので今回も期待していました。そして今回もまた面白かったです。突然京都の町で普通の人間同士が殺戮を始める、これはパンデミックか?霊長類の話から壮大な人類の歴史、DNAの話などこのあたりが好き嫌いの分かれ目だと思います。なぜ殺戮が始まったかという謎も興味はありますが、どちらかというと私はその間に入る人間の歴史の薀蓄などの方に惹かれました。「あるもの」がこの話の鍵になります。今回は文章の中の体言止めがやや多いなあと前半部分はそこに引っかかったのといくつか腑に落ちないところもあったかなあ。
読了日:10月29日 著者:佐藤 究
ホワイトラビットホワイトラビット感想
途中まで(あ・・・ちょっと今回の伊坂幸太郎合わないかも・・それなりの面白さは保っているものの・・・)と思っていました。が!ある時点で驚き狂喜乱舞。後半の怒涛の展開にただただ驚愕の連続でした。面白い!とても!!今まで私の見ていた景色は何だったのかと改めて冒頭からもう一度読むと、見事に最後に全てが回収されているのがわかります。星座やレ・ミゼラブルとかの小ネタも面白いし、今回は作者視点(神視点)も入っているし、あの「彼」も、あの方々も出てくるし、折々にくすっと笑えるし、サービス精神満載。見事なエンタメです。
読了日:10月29日 著者:伊坂 幸太郎
未必のマクベス (ハヤカワ文庫JA)未必のマクベス (ハヤカワ文庫JA)感想
単行本の時に何で読まなかった自分のバカ!と思ってましたが。わかったんです、お仕事小説、会社小説と思って敬遠していたということが。今回読んでみて、その側面は大いにあるけれど、壮大な青春小説でもあり恋愛小説でもあり犯罪小説でもある、と思いました。面白かった!まず文章が好きです、いつまででも読んでいたくなるような文章でした。シェイクスピアのマクベスを随所に絡ませているところもお見事で、バンコーの使い方、魔女の予言、王の使命と行く末と両者を重ね合わせて一気に読みました。そして初恋の冬香は?・・と思っていたら!
読了日:10月26日 著者:早瀬 耕
連城三紀彦 レジェンド2 傑作ミステリー集 (講談社文庫)連城三紀彦 レジェンド2 傑作ミステリー集 (講談社文庫)感想
表紙の作家さんたちの鼎談までついているだけでもどきどきするのに、更に彼らがセレクトした連城三紀彦作品でありその作品ごとについている一文もある、というゴージャスな一冊。それぞれの作家さんがどういう作品を選ぶのかなあという驚きと楽しさもまたあります。私は冒頭の伊坂幸太郎セレクトのぼくを見つけてで誘拐物の逆転を面白く読みました。(この後伊坂最新作ホワイトラビットを読むとさらに感慨深いかも)。度肝抜かれたのが関西弁で語られる白蘭、ある種の宮部作品を思わせる他人たち、一種の完成形の夜の自画像、など堪能しました。
読了日:10月26日 著者:連城 三紀彦
金木犀と彼女の時間 (ミステリ・フロンティア)金木犀と彼女の時間 (ミステリ・フロンティア)感想
タイムリープ物。女子高生の菜月がタイムリープできる(でも5回限りで最後の5回目で決定)体質であるという設定で、クラスの中のある人間が死ぬのを何度もタイムリープで阻止しようとするお話でした。誰が犯人なのかというのも興味ありましたが、それとは別に学園生活のあれこれ、友達との摩擦などのエピソードの方が生き生きしていてそこは面白く読みました。ただ・・・タイムリープが自分の意志ではなくいつ起こるかわからないところ、ラストに至る箇所の展開、タイムリープした後の他の時間軸はどこにいったのか、とか色々疑問は残りましたが。
読了日:10月26日 著者:彩坂 美月
日の名残り (ハヤカワepi文庫)日の名残り (ハヤカワepi文庫)感想
ノーベル賞おめでとうで再読。特にラストの海岸場面、忘れ難くその場にいるかのような気持ちになりました。ドラマダウントン・アビーを見た後だと、この感じが更に良くわかるようになった気がします。古き良き時代のイギリスのお屋敷で執事として采配を振るっていたスティーブンスの身の程をわきまえた、今の目で見るとへりくだりすぎている姿が印象的です。でもこれが彼にとっては喜びであり、ダーリントン卿という尊敬できる主人に仕えるというのが彼の矜持であったのだと思いました。そして気づかなかった愛の行方。静謐で素晴らしい話です。
読了日:10月26日 著者:カズオ イシグロ
怖い絵 泣く女篇 (角川文庫)怖い絵 泣く女篇 (角川文庫)感想
東京で展覧会開催中なので再読。このシリーズの人気は、一つの絵からヨーロッパ王族の歴史(血族の連鎖等)、ヨーロッパの歴史そのもの、当時の風俗・生活、果てはギリシア神話まで、その背景やひいては他の本や映画などを引き合いに出してくれるところがまことに楽しいからだと思います。単に背景のみではなく話が広がっていくのです。ということでこの本にセレクトされた絵のどれも見入ってその話の広がりを感じました。しかし表紙のしかしレディジェーン・グレイの処刑が表紙になっているけれど、インパクトのあることと言ったら!斬首って大変。
読了日:10月26日 著者:中野 京子
小川洋子の陶酔短篇箱 (河出文庫)小川洋子の陶酔短篇箱 (河出文庫)感想
楽しいっ。小川洋子がセレクトした短篇がずらっと並んでいるだけでも豪華なのに、それぞれの作品に対しての小川洋子のエッセイとも短篇ともつかぬ一文がプラスされているところまでずずーいと楽しめました。他の本で既読の作品でもこうして新しく読んでみるとまた違った切り口で読むことができました。私は、中井英夫の牧神の春を動物園で必ず思い出すし、梶井基次郎の愛撫の猫話も日和聡子の行方も忘れられないのですが。今回小池真理子の流山寺がめちゃくちゃ怖かったです!木山捷平の逢引きのそこはかとないエロス、葛西善蔵の遊動円木もお見事。
読了日:10月26日 著者:小川 洋子
デンジャラスデンジャラス感想
大変面白く読みました。細雪の雪子のモデルになった谷崎の妻松子の妹の重子の視点から語られていきます。ぼんやりと知識としてあった細君譲渡事件、姉妹への拘泥、老人になってからの嫁への偏愛ぶり、膨大な書簡などが重子の語りで鮮やかに描き出されこちらに伝わってきました。谷崎王国とでもいえる彼の『輪』の中に文字通り取り込まれた人の多いこと多いこと!虚実入り混じった小説が、皮の中に違う中身があることもある、と言い放つ谷崎とか、重子の嫁千萬子への反感とか、最後の最後での谷崎からの言葉の驚きとか。谷崎作品を再読したくなり。
読了日:10月05日 著者:桐野 夏生

読書メーター


評価 5 

途中まで読んで、正直、
(今回、珍しく伊坂幸太郎の話に強烈には乗れなかったかも・・・)
と思っていた。
つまらなくはない、それはもう彼のお得意の話術で面白いし、会話も際立っているし、これがどう繋がる、という興味もあったし、ましてや「あの」黒澤が出てくる。
けれど、それにしても・・・立てこもり事件で犯人説得の話・・・と繋がっていく話で、オリオオリオ、星占い、新婚の綿子ちゃんへの思い、警察官側の家族喪失の事情、レ・ミゼラブルが引き合いに出されるところ・・・などは面白いものの・・・語りも「俺」が語る兎田視点、「私」が語る春日部課長代理視点、作者視点(神視点と言ってもいい)も折々に入ってこれも慣れたのだが・・・このままずうっとこの調子で進んでいくのかなあ・・・とちょっぴりだけ倦んでいた。
が!!!!
途中で、本当に驚いた!!!本を落とすほど驚いた!!!
私が見ていた景色が全く違ったものに変化したではないか、それも目の前でくるっと。
綿密な計算の元、前半だらだらっと続いていたように見えた会話の数々、一人一人の事情などが後半全く違った姿で現れてくる。
なんてすごい小説なんだろう。

・・・・・・・・・・・
仙台の住宅街で人質立てこもり事件が発生した。
SITが出動するも、立てこもりの家から逃亡不可能な状況下、犯人側と警察側との交渉が始まる。
そして犯人側からは予想外のことが要求される、いわく一人の人間を探せ、と。
犯人側の事情は、自分の属している組織からある男を一日で探さないと愛妻を殺すというものであった・・・

兎田というのがある犯罪組織の末端にいる(人を誘拐するのを旨としている集団)男で、彼は今、犯罪組織のトップから、新婚の愛する綿子ちゃんを拉致され、彼女を返してほしければ、折尾豊というコンサルタント(オリオン座に詳しく別名はオリオオリオだ。稲葉のグループに追われながらも、不運な事に勇介にぶつかり、喧嘩になって頭を強打して死亡。勇介の家に隠されたが、最後は
(折尾は組織の金に手を付けて追われている)そして、折尾のGPSから想定される家に入り込むのだが、彼はいない。
折尾はいなかったことから(→実際には、不可抗力の事故からこの家の息子があやめてしまい、この家のベッド下にいる、死体で。最後は立てこもりの実行犯の罪を被される形になり2階から落とされる。←)兎田は妻を救うためにここで立てこもりを始める。

黒澤は単純に泥棒であるが、仲間が落としたらしいメモを拾いに行って、この立てこもり事件に巻き込まれる、当初はこの家の父として存在しているのだが、兎田に途中で見破られる。
そして兎田の苦境を見て一肌脱ごうと決意して壮大な計画を思いつく。

・・・・・・・・・・・・
この計画、が後半効いてくる。
前半の総てが後半への伏線、ジャンプ台になっていると言っていいだろう。
121ページの「私にはこの折尾というのが胡散臭く感じられて仕方がなかった。会ってからまださほど時間がたっていないにもかかわらず、信用できない、と思わせるのだから、これでよくコンサルタントが務まるものだと感心した。どう見ても、一般人とは思えない。・・・」のくだりも最初に読んでいるのと、最後まで読んでこの部分を読むのとでは大いに違う味わいがある。
妻子を亡くした警察関係の人間の話も後半回収されていく。
時系列が行き来するがそこすらおおいなる魅力になっている。
まさか、の出来事の連続の面白さを存分に味合わせてくれた小説、だと言っていいと思う。

以下ネタバレ
・警察は早い段階で、折尾と接触している。
ところが、この折尾は実は、兎田のために一肌脱いでいる泥棒黒澤であった。
誘拐された綿子ちゃんの居場所を探し出せる唯一の手段は、警察の情報を頼みにするしかない。
警察のその場所に一番近くいられるのは、折尾に成りすますことだった。

・立てこもり事件で、ニュースに流してもらい、組織のトップの稲葉に知らせようとする計画だった。
それは、前半で見えていた「母子のいる(そして折尾の死体もあり黒澤もいた)家」で立てこもりをしようとしていた兎田の考えとは別に、『隣の家』で偽の立てこもりをしようというものだった。
そうすれば、出発可能だししかも稲葉が兎田のGPSを見ても不審に思わない場所だ。
隣の家の立てこもりを黒澤は二人の部下に任せる。

つまり、
冒頭の方で見ていた景色は、兎田が黒澤とともに、住宅街の母子を盾に、折尾を要求しているという立てこもりの図。そしてこの後、警察は自分のところに折尾を確保している。
後半真相がわかった後の本当の景色は、兎田と黒澤が共謀して、住宅街の母子の家には兎田がひっそりといて、交渉しているのは隣の家の図。隣の家には、黒澤の部下の中村が犯人役、今村が住人役になっている(この家には人がいない)
家には三人いることにしている(これは兎田が稲葉に三人いると言ってしまったから)
そしてこの場合、警察が確保していた折尾は折尾に成りすました黒澤である。
2017.10.25 ANK:


評価 4.8

サブタイトルに、a mirroring apeとあるように猿の物語だ。
この作者の前作も私は大好きだったので、これもおおいに楽しみながら読んだ。
猿と人間の違い、地球上のDNAの歴史、どこで今のホモサピエンスが分かれてきたのか、人類の進化とは一体何か。
一種衒学的な装いもあり、ちょっとした実験の話とかも含め、非常に面白いし読ませる(が、ここが好みの分かれるところでもあるとは思う)
やや体言止めが多いので最初の内はこの文章になじめないところもあった。
が、猿が暴走し始めるところから、なぜ特定の3人だけがこの争いに巻き込まれないのかという謎も含めて、一気に読み進むことができた。
途中で主人公とでもいうべき鈴木望の幼少期の出来事がフラッシュバックされてくる。
これが何か?と思っていたら、とても重要なフラッシュバックでもあった→鏡、があるのだ、この話、鏡の物語、と言ってもいいだろう。
もう一人の暴動に巻き込まれないケイティは科学雑誌のライターで、ダニエルキュイと鈴木望に興味を持って、偶然この時期に京都を訪問して、また鈴木望にも面会していたのだった。彼女もまたある過去がありそれを体に刻み付けている→鏡文字で言葉を胸にタトゥーで入れている、そしてここでもまた暴動の最中彼女も翻弄され自己破壊をしそうになるが、鏡、で正気に戻り助かったのだった。

京都で、人間同士の殺戮がいきなり始まった。
それは、ゾンビ同士の戦いのようだが、生きている人間同士の死闘でもあった。
今まで普通に過ごしていた人達が力の限り相手を殺そうとするその行動は一体どこから来たのか。
パンデミックではない、ということはわかったのだが・・・


31歳の鈴木望という男性がKMWP(京都ムーンウォッチャーズ・プロジェクト)のセンター長となった、彼は霊長類の研究を続けていた。
なぜKMWPが発足したかというのは、物語の中で徐々に徐々に明かされていくのだが、ダニエル・キュイというAI用言語プログラム開発した男、巨万の富を持ち、鈴木とタグを組んでKMWPを設立の資金源である。

この物語、構造的には割合単純な構造だ。
・意味なく京都の普通の人たちが殺し合いを始めた、それは当初パンデミックと考えられあらゆる調査が行われるがそうではないらしい。なぜ突然死闘を演じ始めたのか、彼らは。
・ここに京都のセンターにウガンダ共和国からやってきた非常に知能の高い7才のオスのチンパンジーAnkがやってくる。
どうやらそのことが影響しているらしい(というのが冒頭の方でわかる)
・それが何の理由なのか、突き止めようとする鈴木望とたまたま京都にいたライターのケイティ。

原因ということだけを考えると、そこは比較的単純なのだが、そこに行きつくまでの出来事、思考の回路、類人猿とはるかな人間の歴史、などが語られているところがとても面白い。
一方で、逃げているAnkがたまに消えている、思考はないのだろうか。彼の方の側、みたいのが描かれていたらもっともっと深くなった気がしたのだがそれはない物ねだりか。

以下ネタバレ
原因は、Ankの鳴き声。これが人々を狂気に駆り立てたのだった。
そして彼を封じるために鈴木望は溺れるのだった、Ankとともに。
皮肉なことに、幼い時に無理心中を海でさせられそうになった母親(鈴木はそこから抜け出した)と同じことを自分がしたのだった。


評価 5

この小説、単行本の時に話題になったのだろうか?
私は見過ごしていた、きっとなったのだろうが・・・(調べてないのでわからないが)

とても面白い。
読んでいてわくわくするし、文章も好みだし、タイトルにもなっている戯曲マクベスの使い方も絶妙だ。
物語全体を見てみると、多少、作り物めいたところ(偶然が過ぎるところ、多少古めかしい感じが否めない描写、あり得ないだろう、という現実の展開、突っ込みどころ満載の女性への気持ちetc)もあるがそれすら瑕にはならず、逆に物語全体の虚実入り混じった雰囲気を上げている、元々が、マクベスを土台にしている物語なのだから余計にその効果はあるのだ。。
これは、会社小説でもあるので、もしかして私の苦手な方面のお仕事系の済小説が入ってくる話かなあ・・・と思っていた(その側面もおおいにあるのだが)
通読してみれば、これは恋愛小説であり強烈な青春への惜別という物語であると感じた。そして犯罪小説でもあり、ハードボイルドの要素もまたある。
また、人によってどの部分に重きを置いて読むかというのが変わってくるのがこの小説だと思う。

・・・・
38歳の中井優一は、IT企業のJプロトコルに勤務している。
そして東南アジアを中心に暗号化された交通ICカードの販売に携わっていて、東南アジアで活躍している。
勢い、東南アジアの事情には精通していて、高校時代の友人伴浩輔と会社で再会し彼と一緒にバンコクでの商談を成功させる・・・


前半ではこの中井優一が非常に会社で有能な人間で、とんとん拍子と言ってもいいくらいに出世して行っているのがわかる。
38歳にして副部長であり、社内的には左遷でありペーパーカンパニーの要素を持っていても、その代表になれるのだから。


食べ物描写(飲み物描写)も非常に魅力的でおいしそうだ。
中井のお気に入りで何度も何度も出てくるキューバ・リブレ((コークとラムのコークをダイエットコークにしたフェイク・リバティ、
伴が執拗なまでに食べてはまっている雲吞麺、
マカオのポルトガルのレストランで素手で豪快に食べるアフリカンチキン、
サイゴン駅前でおじさんが普通に売っているとてもおいしいヤシの実ジュース、
とその街の風が匂い立ってくるような描写とともに食べ物が語られていく。
何かがあればラムとダイエットコークを手にしている中井がいて、雲吞麺に向かう伴がいる。

商談をまとめて帰宅の途上で寄った、マカオの娼婦からマクベスの魔女同様のご託宣を得る中井の姿がある。
「あなたは、王として旅を続けなくてはならない。」と。


中井の親友が伴浩輔であり、高校時代に学校の教師が名前から連想してマクベスのバンコーだと指摘されているのが回想で出てくる。
高校時代、鍋島冬香という女子にほのかな思いを寄せていたというのもここでエピソードとともに甘い思いを持ちながら紹介されているのだ。
一度たりとも忘れたことのない鍋島冬香。
どんな女性と付き合っていても忘れたことのない彼女とは何もなかった(付き合ったこともなかったのに)のに、心に常に留めている中井の姿がある。

このあと、中井は仕事を大成功したのに社内的には左遷させられるという出来事が起こる(社長とはいえ)。
二年先輩の元上司である由起子との付き合いもあり、彼女からその左遷の情報を手に入れる中井。
中井のいた会社には様々な側面があった・・・
このあたりは会社小説の側面が大いにある。

このあと、高校時代にほのかに思いを寄せていた鍋島との繋がりが思いもかけないところで登場してくるのだ。
そしてこのあとの展開で、決して普通の現実の会社では起こりえない事件が引き起こされていく。
常に常にマクベスの予言に引きずり回されている中井の姿が心に残る、自分が王として旅を続けるという予言に。
またこれに伴い、伴がマクベスのバンコーであるという思いも拭いきれない。
現実とマクベスの物語が錯綜し中井の行動のあちこちに影響し始める部分が非常に読ませたのだった。

積み木カレンダーの秘密とかこのあたりも細部だけれどとても面白い。
また某人と出会う箇所も、亡命しているある国の人ということなのだが、ここもまた現実とリンクしてある特定の人を想像したりする。
またパスポート偽造などで、実際には今度は中井自身が亡命するということになってくるのもスリリングだ。

中井と伴を見ると、一見伴の方が豪快だし仕事においても有能なように見える。
そしてスポーツ万能で人からの信任も厚く優秀な伴は高校時代に光っていた。
しかし。
伴が中井のことを評してこう言っている。
「中井には誰かを羨ましいと思う感情が欠けているんだよ。
だからおまえは恐ろしい。
俺はおまえが怖くて虚勢を張っているだけだ」
名台詞ではないか、これは。

マクベス、が土台になっているので、結末は予測できる、滅びに向かっているのだろうなあと。
最後の一行で小さな満足の溜息をついて本を閉じたのだった。

ネタバレ付記
シェイクスピアのマクベス
・かねてから、心の底では王位を望んでいたスコットランドの武将マクベスは、荒野で出会った三人の魔女の奇怪な予言と激しく意志的な夫人の教唆により野心を実行に移していく。王ダンカンを自分の城で暗殺し王位を奪ったマクベスは、その王位を失うことへの不安から次々と血に染まった手で罪を重ねていく……(新潮文庫紹介から)

マクベスは魔女たちからはいずれ王になるお方という予言を受ける(これが中井がマカオの娼婦から言われた王は旅を続けるという予言に繋がる)
疑心暗鬼になった王マクベス(中井優一)は、戦友のバンクォーまで殺してしまう(これが伴浩輔に繋がる)
王マクベスはかつての家臣に命を奪われる。

・後半、中井自身が殺人者になるという展開に度肝抜かれた。
しかも彼は亡命者になり外の世界にもう出られなくなってしまうのだ・・・

・鍋島冬香がどこに出てくるかと思っていたがこのような登場とは!
最初から見えていたのだ、彼女は。
彼女が整形をしたという時点で、近くにいる森川が鍋島冬香と気づくべきだった・・・






評価 5

連城三紀彦の短編、それも粒ぞろいの短編がこうして読めるというだけでもわくわくするのに、それぞれが有名作家の推薦文付きというのがたまらなく読ませる。
最初のところに作家からの一文がありそこで大いに心ときめかせて本文を読むことになるのだが・・・
ここからは各自の好みだ。
推薦してくれた作家が好きだからと言って、その人が推薦した連城作品が好きだとは限らない、というのが面白いところだ。
プラスこの文庫には、巻末に綾辻×伊坂×米澤の特別鼎談が収録されている。これも誠に楽しい。
なんてなんて贅沢なんだろう!!

・・・・
私はこの中で面白くて印象的、と思ったのが、自分が誘拐物を好きだというのもあるけれど、逆転の構図のようなものが見えた、冒頭の『ぼくを見つけて』だった。
子供から自分が誘拐されてるので助けてください、名前はケンイチだ、という電話が警察にかかってくる、しかも電話番号まで伝えて。
これだけで警察は色めき立つ。
けれど、その家に電話をするとお母さんが出てきて、自分の家の息子は普通に家にいる、と言う。
しかもこの家のケンイチくんの兄は幼い時に誘拐され殺されているという特殊な家であった。
そのあと生まれてきたのがケンイチだった。
一体どういうことなのか?
子供のいたずらなのか?
この物語の面白さは、子供が助けてくださいと電話をかけてきたところから始まる、『本当の事実』に至るまでの経緯だ。
その本当の事実が、想像を超えた事実だ。
あ!と思った、事実が分かった時に。
私たちが無意識に信じているものが、がらがらと崩れ落ちていく瞬間だった。
私たちが無意識に信じているもの、とは、お母さんという存在。
お母さんが自分の子どもが自分の子どもである、という嘘をつくはずがないという思い込みを突いている。
そのお母さんが実は自分の子どもを誘拐され殺された後、折角できて生まれた子供を亡くしたショックで、『他人の子どもと死んだ自分の子どもを生まれた時に入れ替える』という仰天の技を病院でやってのけたというのが真実だった。
近頃その事実を知ったケンイチ君は、それを『自分が誘拐されている』と表現していたのだった。


次の菊の塵も、一見読みにくい、薩摩藩士、会津藩、鳥羽の戦、乃木将軍崩御、と明治の終焉の話が絡んでいるから。
しかし読んでいくとこの短編の美しさがわかる、一輪の菊の清冽さがこちらの胸を打つ。
この中で外で走り回る子供たちの鈴(彼らは近所のおばちゃんがこれを持って走ると早くなるというので無邪気に持って走っていた)の意味が最後までわからなかったのだが、これがわかった時に、(ああ・・・そういうことだったのか・・・)と胸を打たれたのだった。→病床にある夫に帝の死を知らせる号外の鈴の音として妻が聞かせた。
また夫が詠んだ辞世の句の反転の仕方も鮮やかだ。

ゴーストトレインは、自殺未遂を扱っている話だが、赤川次郎の幽霊列車と連動した企画らしい。
列車に轢かれる寸前までいっているのに、轢かれない不思議とは・・・
これもまた味わいがある作品だ。

白蘭は、人気漫才コンビ県太と藩一の話だ。
女性にも奔放でしゃべりまくる県太と、不器用に生きていて県太のしりぬぐいをしている藩一。
関西弁のおっちゃんの語りで語られていくのだが、この作品、あるところで非常に驚いた。
全く全く分からなかった、この構図が。
鮮やかなそして壮絶な逆転劇になっている。
藩一の総ての罪をかぶっていてくれたのは県太であった。外側から見て、奔放でやんちゃなのは県太、地味でいつも県太のそばで損をしている役回りが藩一と誰もが思っていた。
しかし実際は逆。
県太は藩一を同性だが好きだったので全てを飲み込んでいたのだった。
恋愛トラブルで足を刺された時に藩一が県太に間違えられて悲惨な事件に巻き込まれたと思ったいたがそうではなくて、実際に藩一自身のトラブルであったのだった。


他人たちは、宮部みゆきの疑似家族物のR.P.Gを強く思い出した。
語り手は受験勉強のためあるマンションの一室を借りている小学校六年生の女子だ。
この語り手が、徐々にマンションに住んでいる人のことを語りだすのだが、ある部分で(188ページから189ページで)、え!!と驚き、そこからひもが解けていくようにこの話の全体像見えてくるのだ。
語りの妙と言ったら良いのだろうか。
はじめは、他人のように冷静に語っていた、隣人や別の部屋に住む人たち、というのは自分の家族であった。
針金を使って母の部屋に侵入した大学生の男性は自分の兄。
離婚経験のあるインテリアデザイナーは自分の母。
よく仕事がわからないマスコミ関係に勤めているらしい男が自分の父。
自分の部屋の上のほぼ寝たきりの男が自分の祖父。
母、父、そして兄、祖父が同じマンションの違う部屋に住んでいるという構造だ。
そして両親の離婚を進めていくうちに・・・
本当の家族だったのが他人になっていくというラスト、皮肉な結末が待っている。


夜の自画像は、語り手が事件を語っていく話だ。
この話のキーは、利き手と鏡と火事だ、そしてまた自画像は一体誰を描いたものなのか、という謎も仕掛けてくる。
語り手の父はある画商である。
かつてその父が発掘した天才画家波島がいて、彼との間で事件が起こる。
誰が刺したのか。
誰が被害者なのか。
犯行直後の火事で混沌とした事件の真相を、この事件の目撃者でもある語り手の画商の息子が考えていくのだ。
残された絵と羽織で真相に気付くところが圧巻。

・・・・・・・・・・・・・・・・

「ぼくを見つけて」「菊の塵」「ゴースト・トレイン」「白蘭」「他人たち」「夜の自画像」


評価 4.5

人と違った能力を有する女子高生菜月。
その違った能力とは、同じ一時間をループすることだった・・・
菜月、はケン・グリムウッドのリプレイを思い出し、自分のことをリプレイヤーだと確信するのだ。

タイムリープ物で必ずあるように、この物語の中にも法則はいろいろある。
・このループはいつ起こるかわからない
・どうやら5回で終了し、5回目が『本当の事実』として認識されそこに投げ出されるらしい。
つまり、過去に行って何をしてもその過去は変わらず、連続している過去、ではないらしい。
いわば、最初飛ぶ4回は、夢の中の出来事、のようなのだ。
・あることが起こる。
・けれどそれを次の回に上書きできる。
・でもそれは最終回の5回目で確定してしまう。

けれどそこにいくらかの真実は混じっていて、いくらかの齟齬もある。
夢の中というのには、あまりに現実がまずあり(この場合文化祭)、そこで一人の男子高校生が転落事故に遭う事件というのは繰り返されているのでここは確定事項だ。
更に、出てくるクラスのメンバーとか、喧嘩した女友達とか、好きな男の子とか、先生とか、そういうのは一緒だし起こっている出来事も同じだ。
その人たちの微妙な秘密が、タイムリープしているうちに(こういうことだったのか・・・)と解き明かされていく。
ということは、この繰り返されている過去というのはどこの時点なんだろう?5回目の前の4回の過去ってどこにいったのだろう?(というのがよくわからなかった・・・あれはあれで消えたのか?でもそうすると少しずつ話が繋がっているというのはどうなるのか。また5回目で今までの知識を身につけた菜月とかは、どの時点の過去に繋がるのか?)

・・・・
青春物、なので、屋上で告白された菜月が必死に拓未を探す姿に胸打たれる。
菜月の特殊な体質ゆえ、誰とも心を通わせられず絶えず周りに気を使い、自分の進路すら親友たちに話せなかった彼女のジレンマというのも伝わってきた。

文化祭の楽しい様子、衣装デザインの得意な子が夢中になってやってくれるファッションショーの盛り上がり、男の子たちのバンド、放送部の番人の恩返し、と読みどころは多い。
途中途中で謎が入ってきて一つ一つは大したことのない謎なのだが、その謎解きはとても楽しかった。
全体よりこういう小さいところが私には楽しめたのだった。

が。
全体に楽しく読んだのだが、腑に落ちないことが色々あった作品でもあった。

以下ネタバレ

わからないことが多くて申し訳ない。

・最後にもう一人過去を繰り返すリプレイヤーが出てくる。
それが幼い時からモデルをしていて、クラスから浮いている理奈だった。
彼女が拓未を屋上から突き飛ばした犯人で、途中の回でクラスの女の子を鋏で刺殺する犯人。

ま・・まさか、突然同じリプレイヤーが同じ高校に現れるとは!
しかも同じ時期にリプレイしているとは!
(え、と思ったが、共鳴するということで説明されていた)
よくわからないのが、彼女のリプレイと菜月のリプレイと見るものって一緒なんだろうか。
外側(文化祭とかその他の様子)が一緒ってことか?

・中学生の時のリプレイの話は途中で終わっているけれど、この時に5回とわかったのだから(多分そう、それ以来なかったと高校の菜月が言っていた)、そのわかった時点の話って重要じゃないかなあと思った。

・親友たちとの和解があまりに短い。
それに伴って、後半がちょっとバランス悪く短いような気がした。

・放送室の番長を巧く使う菜月の親友の話、拓未にかかってきたいたずら電話は彼と自分の彼女が一緒にデートをしていた(実際は誕生日プレゼントを教えてもらっていた)男子高校生の嫉妬の話、拓未のジャンパーに頬を埋める教師に菜月は、担任が男子の拓未に思いを寄せているとある回では誤解するのだが、それはヴィンテージジャンパーに対する想いだった話、クラスの友達が言った拓未君の意外な一面の話、など少しずつの日常の謎の作り方、ここは非常に巧いと思った。

・あれだけ探していなかった拓未は最後どこにいたのか?
ここもわからない。
更にもっとわからないのが、菜月は告白されたものの、拓未のことをずうっと好きだったのか?ここが伝わってこなかった、好感度の高い男子というのはわかっていたけれど。

・何回目かで、親友の弟に写真室暗室に閉じ込められる。
あれは何だったんだろう?
どういう意味があったのだろう?
途中で親友弟が、風船の写真を撮っていたけれど、あれは菜月を撮っていたのか?(というのがよくわからなかった)
2017.10.19 日の名残り


評価 5

ノーベル賞受賞記念ということで読み直してみた。
静謐な物語であり、イギリスの話なのになぜか懐かしい香りのする物語だ。

品格ある執事をひたすら追求するスティーブンス。
お屋敷もいまや主人が変わり、アメリカから来た主人になった。
イギリス人貴族に彼が勤めた昔の良き日々を胸に抱きながら、彼が昔一緒に働いていたミス・ケントンを訪ねていこうとする・・・美しい田園風景を楽しみながら、スティーブンスの旅は続く・・・


まずお屋敷のご主人に対する敬愛が半端ない。
これは前にも思ったのだが、今回はテレビドラマダウントン・アビーを見たのでそのあたりが非常にすっきりと頭に入ってくる。
お屋敷の貴族のご主人は、下で働く者にとって威嚇している者とか搾取している者ではなく、自分たちを導いてくれる人、なのだ。
だからその人に間違いがないという信念の元に執事以下屋敷の奉公人たちは働くのだ。
だからもし、お屋敷のご主人がいない時でも彼の悪口を言うものはいないだろうし、働きをさぼる(多少は気を抜くだろうが)こともないだろう。
お屋敷のご主人は、ある意味父親以上の皆の父親、なのかもしれない。
こうした良き時代、にひたすらダーリントン卿に仕えていたスティーブンスの身の程をわきまえた、今の目で見るとへりくだりすぎている姿が印象的だ。
そこに一人の女性がやってくる・・・

・・・
この物語は、話として、スティーブンスが旅行している間にずるずるっと思い出した過去のこと、そして旅行をしている現在のことが入り乱れて書かれている。
旅行は初めての旅行らしく、折り目正しい執事らしく、時に失敗や誤解を生みながらきちんきちんと旅の行程を進めている。
彼は自分の人生を振り返りながら、どの時点が自分の道を決定的に変えた時点なのか、というのも見極めようとする。
あくまで礼儀正しく、滅びゆく伝統のイギリスのお屋敷生活を懐かしむスティーブンスがいる。
しかし彼の回想で、ダーリントン卿のお屋敷でどれだけ重要な会議が行われたかという自負もある代わりに、ダーリントン卿がある勢力に利用されていたという実に残念な回想も混じっている。
それを止めることも出来なかったスティーブンス。
それは立場があるのでできないのだ、耳打ちすらも。

最後のところの男性と女性との再会でもし、が二人の心を去来する。
長い年月、いがみ合ったり、笑いあったり、ココアを飲む時間を楽しみにしていたり、つまらないことからその時間をなくしてしまったり、そういう時間の大切さというのは失ってから気づくものだ。
そして最後の女性の告白・・・

帰らない日々、そして帰らない時間。
遠い日を思うスティーブンスの最後の海岸の場面が目に浮かび、忘れ難い。
2017.10.19 怖い絵



評価 5

怖い絵の展覧会があるので文庫で再読してみた。
このシリーズ、作者独自の視点で、有名な絵を見ましょうだけではなく、その背景やひいては関係する(想起させられる)本や映画などを引き合いに出してくれるところもまことに楽しい。
また軽く歴史にも触れてくれるので、怖い絵を見るだけではなくヨーロッパの歴史、王族の血族結婚の歴史、果てはギリシア神話までを読み解いていくということにもつながってくる。
そうなのだ、西洋絵画を見る上の基本中の基本がわからないと見ても、絵そのものには感動もするだろうしその光彩にくらくらもするだろうが、奥底まで理解するためにはこういうものが必要だと改めて思ったのだった。

いわゆる名画というものの奥にある陰謀とか憎悪とかは人間が持つものだ。
その人間の果てしない気持ちを覗き込む作業をしているので、絵を見るのに深さが出てくると思う。

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しかしレディジェーン・グレイの処刑が表紙になっているけれど、インパクトのあることと言ったら!
彼女の処刑に伴って、中野京子の解説で斬首というのがいかに難しいか(とりもなおさずギロチンがどんなに便利だったものか)というのがよくわかった(ついでながら、確かに王族は斬首だけれど、平民は縛り首だなあと改めてわかった)

ベツレヘムの嬰児虐殺の絵の話は有名な話だが、こうしてみてると残虐非道に尽きる。
けれど、この絵ではそれが巧みに隠されている。

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ドラローシュ『レディ・ジェーン・グレイの処刑』/ミレー『晩鐘』/カレーニョ・デ・ミランダ『カルロス二世』/ベラスケス『ラス・メニーナス』/エッシャー『相対性』/ジェラール『レカミエ夫人の肖像』/ブリューゲル『ベツレヘムの嬰児虐殺』/ヴェロッキオ『キリストの洗礼』/ビアズリー『サロメ』/ボッティチェリ『ホロフェルネスの遺体発見』





評価 5

なんて贅沢な本なんだろう。
短編が集まっていてそれぞれに小川洋子の解説がついている、それも独特の解説が。
その解説は時としてエッセイであり、時としてこちらが小説?と思われるような極上の一品だ。
短編は動物や生き物たち、河童などが意図も自然に右往左往している。

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印象的なのをいくつか・・・

川上弘美の河童玉、はもう彼女の真骨頂だ。
人を喰った話、というのを彼女に書かせたら右に出る者はいないと思った。一瞬本当にある?と思ってしまう手並みの鮮やかさがここにある。
梶井基次郎の愛撫は大好きなのだが、なぜか猫耳を切符切りでパッチン、は覚えているけれど、後半の猫の手を化粧道具にする、というのはいつも忘れるのだ。多分私の中で忘れようとしているに違いない、あり得そうだから、ああ・・・と自分の中で納得している部分があるからだろう。しかもこの部分、は夢とあからさまに書いてあるのに、なぜこれだけ現実味があるのだろう。

泉鏡花の外科室は映画にもなり、非常に有名な話だけれど、この話を読んだ後に自分が手術ということになった時には、どうなるんだろう?あらぬことを口走るものなのだろうか、と誰でも考えるに違いない。

中井英夫の牧神の春の不思議なことと言ったらどうだろう。
これを読んだら動物園に行った時に必ずや思い出す話だろう、牧神とニンフの場所を探してしまうだろう、この不思議な呪文とともに。
木山捷平の逢引きも面白い、小川洋子の解説にあるズロースとは何ぞや問題も勿論あるけれど、ここにあるのは、ほんのりとした昔のエロスだ。(エロではなくエロス)
途中のモンペを脱ぐ、というところにも時代を感じたけれど、それよりなにより、そのあとの蓋という言葉に恐れ入った。男女の行為を蓋をするようにとは!なんと!
同じ感じでエロスはあるのだが、ここは健康的なエロスが満載の葛西善蔵の短い短い話、遊動円木もまた忘れ難い。高らかにこれを漕いでいるこの時代の女性の元気な姿が眩しい。

魚住陽子の雨の中で最初に溺れるも不思議な味わいを持っている。
この短編の中のカタカナの光っていること!
動物や木の種類のカタカナもそうなのだが、最後の方に出てくるカタカナ、クサナギとレイエンのひたひたと迫るような怖さもある。
これがもし霊園だったらさほど怖くないだろう。

日和聡子の行方も実に不思議な話だ。
影にくっついていったら不思議な場所に連れていかれた・・・夢の中の話のようでもあり、もしこれが夢であったらかなりの悪夢なんだろうなあと思う。ついていってはいけないものについていくという掟破りの話でもあるけれど、じゃあなぜ影についていっちゃいけないのかというのはよくわからない。

小池真理子の流山寺はとても怖い話だ。
なんせ死んだ自分の夫が戻ってきた、働きに行っているように夜戻ってきて食事もビールも一緒に飲んで二人はまた夫婦として過ごしている、のだが・・・後半瞼が黒ずんでくるあたりからめちゃくちゃ怖くなってくる。そして寺の場面の壮絶な怖さがひたひたと迫ってきた。おかしい、と思っている妻がいて彼女が夫が帰宅することを喜びながらも心の奥底でなんだかおかしいと思っているのがじわじわと伝わってくるから怖いのだ。

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河童玉(川上弘美)/遊動円木(葛西善蔵)/外科室(泉鏡花)/愛撫(梶井基次郎)/牧神の春(中井英夫)/逢びき(木山捷平)/雨の中で最初に濡れる(魚住陽子)/鯉(井伏鱒二)/いりみだれた散歩(武田泰淳)/雀(色川武大)/犯された兎(平岡篤頼)/流山寺(小池真理子)/五人の男(庄野潤三)/空想(武者小路実篤)/行方(日和聡子)/ラプンツェル未遂事件(岸本佐知子)
2017.10.05 デンジャラス


評価 5

谷崎潤一郎の話、というのでちょっとだけ敬遠、敷居が高い、ように思っていたが、一旦読み始めたらあまりの面白さに止まらなくなった。
谷崎作品で、誰がどのモデルになっているか、どういう人生を谷崎が過ごしてきたか。
何度かの結婚、複数の姉妹への憧憬、佐藤春夫への細君譲渡事件、膨大な書簡・・・・そういうことの知識が私の中に『ぼんやりとは』入っていた。
けれど、この作品、細雪の雪子のモデル、つまり谷崎夫人の松子の妹の重子の視点、という実に魅力的な視点になっているのである。
だからとても読みやすいし、頭に入りやすい。
冒頭の方でちょっとだけごちゃっとする家の様子があるけれど、メモを取らずとも家系図が例えなくても人物表がなくても、中盤以降は誰が誰かどういう関係かというのはさくさくと頭に入ってきた。
重子の語りで始まって語られる文豪谷崎は、その行動の立派さもあるし、幼さもある、また矛盾した行動もあるし、食に相変わらず執着しているさまも描かれている。
ここに描かれている谷崎になんて惹きつけらるのだろう。
谷崎の輪の中に入っている人達、谷崎に否応なく巻き込まれている人達、それは男女を問わず、重子の亡くなった夫もそうだったし(彼が細雪でモデルになった場面に文句を言うところは理解できた)、重子もそうだし、松子の連れ子もそうだし、また重子の養子になった息子の嫁が谷崎となにやら秘密の書簡をやり取りしているさまも読みどころだ。

強烈な怪人のような谷崎、老いても尚朽ち果てることを拒んでいるような谷崎。
そこから生まれる作品の数々の凄まじさは強烈なのだ。

作家が虚を描きながら、実もそこにあるという、複雑なことをしている、というのも読み取れたのだった。
重子の『小説の毒は、兄さんだけでなく、周囲の人間をも侵してしまいます』という言葉が印象的だった。
谷崎が実際の人間の皮だけ借りてその中身を全く変えることができるんです、という言葉もまた心に刺さったのだった。

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実際の谷崎作品の色々が取り上げられていて、どういう風に誰がモデルになっているか、というのもはっきり書かれている。
これは文献とか、今だったらウィキペディアで読めばわかること、ではあるのだが、この小説仕立てのデンジャラスという作品の中で、実際の重子が語ることによって鮮やかに浮かび上がってくる。
谷崎がそこで息をしているような気持ちにすらなってくる。

自分が細雪の雪子のモデルと自負する重子。
そして対になるように谷崎を必死に支え自分こそが理解していると思う姉の松子。
松子には連れ子の娘息子を谷崎に見てもらっているという恩義もまたあったのだ。
また、子供のいなかった重子に松子の連れ子の長男が息子になる、そして嫁を貰う。
この嫁がまた強烈な嫁の千萬子なのだ。
彼女と谷崎が深まっていくその手紙を最終的に誰でも読めるように放置する谷崎の所業もある。
また瘋癲老人日記が出来上がっていくさまもまた読ませる。

なんとか千萬子への執心から離させたいと思っている重子の姿がある。
そしてそれは、自己確認でもあったと思うのだ、彼女はいつまでも日陰の女だったのか。
姉松子の妹としてしか存在しない女だったのか。
最後の最後で重子はそれを確認しようとしてある答えを谷崎から引き出すのだった、ここは老女と老人との戦いのような場面だ。
そしてもっと怖いのはそれを密かに聞いていた、姉松子の姿もまたあるのだ・・・

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関西弁がとてもこの物語の雰囲気を高めている。
再び谷崎潤一郎作品をこの目線で読んでみたいと思った。